大山康晴十五世名人「人間、よくしゃべるようになったらダメになってきた証拠、と思う」

将棋世界1990年4月号、大山康晴十五世名人の第15期棋王戦〔南芳一棋王-大山康晴十五世名人〕自戦記「好事魔多し」より。

 昭和61年の名人戦以来、久し振りのタイトル戦出場となった。

 その時の「最年長挑戦」記録を、また更新できた訳だが、自分自身、特に意識してのことではない。トーナメントを勝ち上がってきた時も、平常心でいられた。

 南芳一棋王との年齢差は40。五番勝負に臨むにあたり、体力的な問題を気にかけて下さる方も多いが、一日に、10時間や15時間頑張ることは可能で、どうってことはない。

 そういうことを言う人もいるが、それは、負けた時の弁解に過ぎない、と私は思っている。

 むしろ問題なのは、気力の方。気力の持久力である。

 こと将棋に限らず大切なことは、やる気があるかないか、だが、やる気があっても持久力がなくなると、気が薄れ、ムラが生じ、思わぬミスが出ることが多いからである。

(中略)

 南さんの強さは、無口なこと、黙々と仕事(将棋)に励んでいることにあると思う。大体、人間、よくしゃべるようになったらダメになってきた証拠、と思う。

 南さんにも、捜せば弱点はあるだろうが、私自身、これまで特に気にとめたことはない。南さんに限らず、後輩棋士の将棋をイチイチ気にしていたら、キリがないからだ。

 今、若い人達の勝率が高いと、いろいろ評判になっているが、後輩が先輩棋士の将棋を調べ、目標とするのに対し、先輩は後輩の将棋を余り調べない、というのも原因のひとつと思う。しっかり調べれば、そんなに負けるもんじゃない、と私は思っている。

(以下略)

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私の記憶が確かなら、大山康晴十五世名人の「人間、よくしゃべるようになったらダメになってきた証拠」は、「その人が以前よりも際立ってよくしゃべるようになったらダメになってきた証拠」のような意味合いだったと思う。

絶対的なものではなく相対的な尺度と言うべきか。

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”気力の持久力”、たしかに対局の最中は気力を途切れさせることなく持ち続けなければ、様々な面で悪影響が出てきそうだ。

実生活の場合、10~15時間絶え間なく気力を使い続ける場面はそうそうあることではないが、それほど対局に求められるものが苛酷であるということだろう。