「僕の対局には、記録係がなかなかつかなくてね」

将棋マガジン1988年10月号、「公式棋戦の動き」より。

〔全日本プロトーナメント〕

延々 何と17時間

 本棋戦の持ち時間は3時間。したがって、夕食前に決着がつくのが相場だが、7月27日に行われた長谷部-森内戦は、すさまじい延長戦だった。

 まず午後5時7分に、千日手が成立。30分後に指し直し。元祖長手数の美学、長考派でも知られる長谷部だから、ここまでは驚くに足らない。しかし・・・

 とりあえずは指し直し局、(中略)以下、森内の勝利となった。終了は午後9時29分。そしてその後感想戦となった訳だが、これが延々と続いたのだ。驚くべし、長谷部が腰を上げたのは、翌日の午前3時過ぎ! この熱心さには、頭が下がる思いだ。

 そういえば、以前、長谷部から聞いたことがある。「僕の対局には、記録係がなかなかつかなくてね―」。

 翌朝、長谷部は元気一杯で理事会へ。森内は疲れた顔で「学校が夏休みでよかったです」。

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昔の棋士は感想戦が長かったというが、6時間近く感想戦が行われるとはすごい。

名棋士81傑ちょっといい話、山田史生さんによる長谷部久雄八段(当時)の項より。

 将棋棋士は、才気溢れた人、奔放な人、弁の立つ人、筆の立つ人など、多士済々だが、そんな中で真面目で温厚と言えば、まずこの人の名が挙げられる。

(中略)

 現役時代は負けにくい、受けのしぶとい棋風、頑強で粘り強い将棋で、長手数、深夜に及ぶこともしばしば。体力勝負になれば負けないほどの自信があった。

(中略)

 後年、タイトル戦の立会人もしばしば務めるようになったが、控え室でも、対局者なみに時間をかけ、真剣に検討する。主催紙の記者が形勢を質問しても、安易には結論を出さない。「う~ん、難しい」と首をひねることが多く、記者を悩ませたが、それもいい加減なことは言えない性格ゆえ。「う~ん難しい」は本音なのだから、やむを得ないことなのであった。

(以下略)

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長谷部久雄九段は信望厚く、将棋連盟理事も長く務めた。

リアルタイムでの棋譜の解説では記者泣かせだったが、人柄のよさが担当記者の間でも好まれ、1995年、東京将棋記者会賞を受賞している。

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このような長考派で元祖・長手数の美学の長谷部久雄九段、やはり長考派の加藤一二三九段と対局をするとどうなるのか。

1971年王座戦挑戦者決定戦の時には、

午前1時30分に480手で千日手。

千日手指し直しは220手で、終わったのが午前6時過ぎ。

昭和46年の加藤一二三九段-振飛車党の古き良き時代(8)

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以前の記事でも紹介したが、羽生善治四段(当時)も順位戦で故・小堀清一八段(当時)と、約8時間の感想戦を行なっている。

小堀清一九段と羽生善治四冠