名人失冠直前の色紙署名

将棋マガジン1988年10月号、「インタビュールーム’88 谷川浩司名人の巻」より。記は大崎善生さん。

 書の話になった。ごく最近に見た谷川名人の色紙の筆運びが、少し力強くなったように思え、そのことを聞いてみた。

「普段と同じように書いているつもりですが、その時の自分の気持とか、調子が自然に出てしまうのでしょうか」。

 これは初めて言うのですが、と続ける。

「3年前の中原先生との名人戦、第6局の二日目の夕食休憩時、将棋は苦しい局面だったのですが、私が部屋で何をしていたかというと、なぜか色紙を書いていたんです。これで、当分名人と書くこともないだろうなと思いながら・・・」。

 覚悟を決めての最後の署名である。

「その時にどんな字を書いていたのか、興味がありますね。飛翔とか書いたのでしょうが、勢いのない、しんみりとした字だったかも知れませんね」。

 その署名をしたすぐ後に、谷川名人は投了し「内容的に満足できる将棋はなかった。自分が弱いということを感じました」とよどみなく感想を述べ、そのさわやかな態度に拍手が沸き起こる。

「3年振りに名人になって、あの第6局の二日目の局面を調べてみたんです」。

 谷川名人はにこやかに続ける。

「悪いには悪いのですが、そんなに勝負を諦めるというような局面ではないんです。調子が悪い時、負ける時というのは、良くなれば焦るし、悪くなれば諦めてしまうものだなと改めて思いました」。

 今ならば、諦めずに自室にこもり、ゆっくりと鋭気を養い、最後の勝負に挑む。そのぐらいに精神力に厚みを増しているのだろう。

 それにしても、将棋を諦め、敗局後ではなく、あえて夕休時に頼まれた色紙に名人と最後の揮毫をする姿。自分にとって一番大切なものを、夢を、奪われることを覚悟して、一人自室にこもり筆を走らせる姿。それは、どのぐらいに厳粛な光景だったのだろうか。

(以下略)

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1985年の名人戦。

1983年に初めて名人となった谷川浩司名人(当時)が迎える挑戦者は、中原誠王座・王将。

名人戦では初めての谷川-中原七番勝負だったが、谷川名人は2勝4敗で敗れる。

投了後、敗れた谷川浩司に対して、立会人の原田泰夫九段をはじめ記者などから拍手が送られたことで知られる名人戦だ。

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二日目夕休時の自室での揮毫。

まさしく荘厳さが漂う雰囲気だったのだろう。

「調子が悪い時、負ける時というのは、良くなれば焦るし、悪くなれば諦めてしまうものだなと改めて思いました」という言葉は、将棋がいかにメンタルなものに影響されるかを見事に語っていると思う。