村山聖八段(当時)「彼はボールに魂を込めて投げる印象がある。今でも思い出すと、胸に熱いものを感じる」

将棋マガジン1996年7月号、村山聖八段(当時)の「リレー出題 懸賞 次の一手」より。

将棋マガジン同じ号より。

 私は広島カープのファンだが、最近カープ総集編というビデオが発売された。まだ見てはいないがとても楽しみにしている。

 カープにはいろいろな名選手がいた。山本、衣笠、北別府、江夏、そして名脇役の人達。しかし私が一番印象に残っているのは津田投手です。

 数年間しか投げなかったが、記録より記憶に残る選手だったと思う。

 彼はボールに魂を込めて投げる印象がある。今でも思い出すと、胸に熱いものを感じる。

 最近日本一から遠ざかっているが今年こそ、と思う。

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広島カープの津田恒実投手は、1981年11月にドラフト1位で入団。

1年目の1982年は先発投手として11勝6敗の成績を残し、球団初の新人王に輝く。

1983年は9勝3敗の最高勝率に輝いたものの、後半戦以降は、肩関節不安定症や中指の血行障害などに悩まされ、登板機会が激減してしまう。

その後、血行障害を治すため、世界初となる中指の靭帯を摘出する手術を受け、1986年に抑え投手として復活。

1989年には12勝5敗28セーブを挙げる活躍で最優秀救援投手、ファイアマン賞を贈られる。「炎のストッパー」とも呼ばれた。

しかし、1990年は故障が続き4試合のみの登板。シーズン終了後から頭痛をはじめとする身体の変調が出はじめ、1991年4月14日が最後の登板となった。

頭痛の原因は悪性の脳腫瘍と診断され、その後闘病生活に入り、1993年7月20日、32歳の若さで亡くなっている。

病気と戦いながら将棋を指し続けた村山聖八段(当時)にとって、津田投手に対する思いは、より一層強まったのだと思う。

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広島カープが日本一になったのは、1979年、1980年、1984年。

1986年(村山九段が四段昇段の年)、1991年(六段に昇段した年)はセ・リーグ1位だったものの日本シリーズで敗退。

「最近日本一から遠ざかっているが今年こそ、と思う」

この1996年は3位、1997年も3位だった。

広島カープはその後も日本一にはなっていないが、2016年に25年ぶりにセ・リーグ1位。

2016年は映画『聖の青春』が公開された年だった。