谷川浩司名人(当時)「ふふっ、デイトの日以外はね」

将棋世界1990年1月号、青島たつひこさん(鈴木宏彦さん)の「駒ゴマスクランブル」より。

 小林八段「青森から直接福岡に来たんですわ。いやー忙しい、忙しい」前夜祭で。いうことが段々師匠に似てきた感じ。対局中は常時衛星放送用の解説で大忙し。「最近また太り始めた。ダイエットしなけりゃ」とかいいながら、中洲に飲みに行ったあと、博多ラーメンを2杯ぺろり。完全な言行不一致。1日目夜、モノポリーを初めてやって当然のごとくかもられるが、「これは面白い。早速買い込んで家にモノポリールームをつくろう」。根性はさすが。

 神吉五段。7日昼頃、なぐり込んできた、じゃなかった、いらっしゃった。衛星放送に出演するや、小林八段とのコンビで大ぼけのギャグを連発。「金はななめに誘え」(小林)「ほほう、なら神吉は中洲へ誘え」(神吉)「昔、対局場の駒を使うことを嫌がった先生もいましてね」(小林)「ほほう、某・加藤九段のことですな」(神吉)

 7日の夜は中洲中の酒の3分の1は飲んで行ったという神吉五段だが(ちなみに谷川名人の持ってきたケーキもほとんど彼の胃袋の中に消えて行った)、9日は大阪で対局ということで、8日昼過ぎには消えた、じゃなかった、帰阪なさった。そのとき記者は台風一過という言葉を思い出していた。

 島竜王と羽生六段。この第3局に関しては、両対局者は盤上以外では全く静かだった。島も羽生も対局場にいる間は酒は飲まないし、今回はマージャンもモノポリーも全く触らず。2日目の打ち上げが終わったあと、谷川、島、羽生、平藤(記録係)とそろって「さてモノポリーでも」ということになったが、そこで例のモノポリー盤行方不明事件が起こって、酒を飲まない2人は、話する以外完ぺきになにもできないという悲惨な状況に陥ってしまったのだ。もっともその悲惨な状況の中の会話にも、一つだけ、聞き捨てのならないやりとりがあった。

「僕は対局日以外いつも暇ですから」(某竜王)

「ふふっ、デイトの日以外はね」(某名人)

「あっ、そういう話はこの際なしということで……」(かなり慌て気味に某竜王)

 実はこの会話については様々なうわさや憶測が乱れ飛んでいるのだが、その内容については事実が確認できしだいお伝えしたいと思っている。

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最後の会話は、島朗竜王(当時)の電撃交際のこと。

第8局が終わった後(将棋世界の2ヵ月後の号)で明らかになる。

谷川浩司名人(当時)2.1倍、羽生善治竜王(当時)51倍

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この第3局が行われたのが1989年11月7~8日。

11月11日に植山悦行五段(当時)と中井広恵女流名人(当時)の結婚式が東京で。

11月12日に第15回将棋の日のイベントが堺市で。

11月16日に第15回将棋の日女流棋士DAYが千駄ヶ谷で。

11月16、17日に竜王戦第4局

というスケジュール。

谷川浩司名人(当時)は、11月9日に福岡から神戸に帰ったとして、11日に東京の結婚式に出席し、12日には堺市のイベント出演。

林葉直子女流王将(当時)は、11月8日に東京で対局、11日にも東京で結婚式出席、12日に堺市のイベント出演、16日は東京で女流棋士イベント。

当時のトップ棋士とトップ女流棋士、ものすごい忙しさだったことがわかる。