羽生善治六冠(当時)の婚約前と婚約後

1995年名人戦第1局〔羽生善治名人-森下卓八段〕関連最終回。

将棋マガジン1995年6月号、「創設60周年記念イベント 名人戦(羽生善治名人-森下卓八段)フェスティバル」より。

 今年で実力制名人戦は60周年を迎えた。それを記念し、第1局にあわせて、「名人戦フェスティバル」という催しが全国で行われた。会場は札幌・天童・仙台・東京(池袋・大森)・所沢・金沢・名古屋・大阪・広島・高松・福岡で、総計で1万人以上のファンが集まった。内容はCS中継を利用した大盤解説会と、60面指し指導対局を主体とし、さらに各地区毎に多様な行事を行った。本稿では、東京池袋の会場を中心にその模様をお伝えする。

(中略)

 さて、中心となる解説会だが、池袋では、開始時刻の13時にすでに立見客が百人を超える、という大入りとなった。土曜日ということもあって家族連れも多く、中には子供を肩車して見せてあげるお父さんの姿も見えた。14時ころに来たお客さんなどは、立ち見客に遮られて、何も見えない、という感じであった。客数で言えば一番多かったのが福岡。会場を博多駅構内の自由通路に設置したため、興味を持った通行人を含めれば、ここだけで述べ一万人は来た。将棋のPR、という意味でも大いに効果があったと言えよう。

 池袋では大観衆の中、関係者の挨拶で開会。解説担当は、米長九段・清水女流名人をはじめ13人。代表して挨拶した米長九段は「今回のイベントは毎日新聞・NTT・富士通の絶大なご強力によって開催できた、ということを忘れないでいただきたい。したがって、皆さんもパソコンなどをお買いになる時、メーカーの選択の際は・・・」と挨拶。期待通りのユーモアに場内は沸いていた。

 午後2時からは60面指し指導対局。受付のホールには長い行列ができた。

(中略)

 また、これも殆どの地区で行われたのだが、阪神大震災チャリティーのサイン会があった。池袋ではもちろん米長九段が大人気だったのだが、中には丸山六段や北浜四段に色紙を頼むファンもいた。北浜四段は女性ファンに「一緒に写真に写って下さい」とも頼まれ、「まさか自分が」と驚いていた。

 話はややずれるが、天童では解説の佐藤前竜王を見に大分から来たファンがいた。また、広島には森内八段の解説を見に大宮から来たファンも。このような話は他の会場でもいろいろあったと聞く。

 ところで指し手が進まない時間帯は解説も進まず、場内もやや退屈気味になる。この時間を一番有効に使ったのはおそらく金沢ではなかろうか。ここの解説には塚田八段と高群女流二段が来ていた。そこで、司会者が「二人へファンからの質問攻め」を行い、かなり盛り上がった。

(中略)

 対局に合わせ、解説会の方も夕食休憩に。この休憩時間がやや長めなのを知った米長九段が、「お客さんを退屈させてはいけない」と、講談師の田辺一鶴さんと急遽解説を再開し、喝采をあびていた。

 ところで、夕休にあわせて帰った人もかなりいた。考えてみれば家族連れなどは夜遅くまでいれるわけがないのだから、当然といえば当然だ。言い換えれば今回のイベントでは、普段の解説会には行けない人々が来ることができたというわけだ。

 夜の解説会は米長九段が中心となって進行した。それに丸山六段・行方四段・北浜四段が順番に登場して米長九段と解説する企画は好評だった。特に最近人気急上昇中の行方四段は、館内を沸かせていた。

 ところで、今回のイベントでも女性ファンの姿が目立った。特に札幌では二割が女性ファンだった。池袋では、女性ファンのグループに壇上に来てもらい、米長九段が質問するという企画が即興で行われた。記者も何人かに話を聞いてみたのだが、「NHKスペシャルで興味を持ちました。一人で来ましたが皆さんの熱意の凄さに驚きました」と言って、食い入るように大盤や指導対局を見ていた人を始め、熱心な人が多い、という印象を受けた。

 さて、持ち時間が切迫するにつれ、解説会の方も白熱する。特に先述したように、今回はCSのおかげで指し手はもちろん、秒読みの声やそれに「ハイ」と返事する対局者の声まで伝わってくるのだから臨場感はなおさらだ。しかし、本局に限って言えば、森下八段がずっと優勢を維持しており、形勢に動きがないのであまり盛り上がらない。いろいろな変化が検討されるが、羽生名人が寄せられる順しか出てこない。そんため、解説でも「森下先勝後の今後の展開」などが話題になったほど。会場からも「羽生さん不調なのかな」という声も聞こえた。

 22時15分頃、記者も「あとは森下勝ちに関するお客さんのコメントを聞いて終わりだな」などと考えて終局を待っていた。その時画面に△8三桂が映った。

「ん?これは?・・・これでは▲7五歩とされて・・・逆転しましたね!」

 米長九段の声に場内は騒然となる。以下、幾ばくもなく終局した。あまりの逆転劇に、場内も驚きと不思議さが入り交じったような雰囲気になっていた。ちなみに、天童では終局の瞬間に、歓声があがったそうだ。

 元TV将棋のスタッフで、プロの将棋を何百回見ていた人ですら「こんな大逆転初めて見ました。悪霊でも取り憑いたんですかねえ」と驚いていた。別の若い人は「途中まで退屈しつつあったんですが・・・あの△8三桂の一手で台なしになってしまったんですね」と言っていた。先程の女性ファンは「よく解りませんが、役に立っていなかった8六の銀が働きだしたな、と感じてはいました。とにかくすごく素晴らしい将棋を見せてもらいました」と語っていた。

 かくして、初の試みであった「名人戦フェスティバル」は、土壇場の大逆転、という結末で幕を閉じた。なお、5月4日の第3局でも同様の行事が東京と大阪で行われるので、お楽しみに。

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近代将棋1996年2月号、「棋界フィールドワーク 新春放談 平成八年の棋界展望」より。

故・小室明さんと故・田辺忠幸さんの対談。

小室 今年もやってきました新春放談。

田辺 昨年以上に過激にいくぞ。

小室 ひとつ田辺さん、よろしくお願いします。いよいよ年の瀬ですが、平成7年は大ニュースが続出しましたね。1月の阪神大震災、3月の地下鉄サリン事件と、東は人災、西は天災というわけで、平成7年の十大ニュースは、戦後50年の十大ニュースのようでした。

田辺 将棋界も大変な年だった。3月23、24日、谷川と羽生による天下分け目の奥入瀬決戦には報道陣が大挙来襲した。あれほどの大勝負はめったにない。羽生は七冠に届かなかったが、課題が残ったという点では、羽生にとっても将棋界にとってもよかったと思う。

(中略)

小室 羽生フィーバーも結婚が決まって一段落ですね。何でもサンケイ主催の棋聖戦の就位式には、百名に及ぶ追っかけギャルが詰めかけていたのに、今回は10人もいなかったというのですから。ギャルもげんきんなものですね。

田辺 おお、あの就位式には私も行った。確かにギャルはまばらだったな。あの女の子たちの中には羽生と結婚したい子がいたんだ。その可能性が消えて、来なくなった。

小室 勝負師の妻、それも第一人者の妻では楽じゃないですよ。

田辺 そりゃ、いいことない。

小室 いまは芸能人と勝負師という組み合わせはいいでしょう。お互いに著名人だから相手の気持ちもわかる。羽生はプライベートでも時代の先端をいっていますね。

(以下略)

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1994年度までは棋聖戦は年2回の開催だった。

女性ファンが100名駆けつけた羽生棋聖就位式は1995年の3月か4月に行われている。

来場者の20%が女性だった札幌、女性ファンのグループも複数いたであろう東京・池袋をはじめとして、全国で女性ファンの姿が目立った1995年4月の名人戦フェスティバル。

・・・そして、1995年9月に行われた羽生棋聖就位式には、女性の姿は10人ほど。

当時の感覚なら、就位式に女性が10人もいたらすごいということになるのだが、それ以前のフィーバーから考えれば激減だ。

羽生善治六冠(当時)の婚約発表が1995年7月28日。

羽生六冠との結婚を夢見て羽生六冠を好きになった女性ファンばかりではないと思うが、どちらにしても、羽生六冠の婚約発表以前と以後では世界が変わってしまっている。

当時の羽生六冠は、公文式や明治ブルガリアヨーグルトのテレビCMにも出演していたので、将棋ファンでもなくプロ棋士ファンでもないけれども羽生ファン、の女性の比率が高かったのかもしれない。

羽生七冠フィーバーは翌年の1996年2月に始まるが、多くの女性羽生ファンにとっての羽生フィーバーは1995年7月28日に終了した。

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1990年、将棋女子」の記事でも書いたが、現在の将棋ファンの女性が応援する棋士は、一極集中ではなく、未婚・既婚に関係なく複数・多岐にわたり、将棋世界最新号で関浩六段が書かれている通り、とても安定感がある。 もちろん、結婚している羽生三冠のファンも多い。

このことは、将棋の歴史始まって以来、いくつかあった吉兆のうちの一つと言ってもよいだろう。

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ニコ生での電王戦の視聴者数の多さが話題となっているが、その数字は、あくまで一過性のものであり、1995年当時の女性の羽生ファンよりもはるかに希薄なものと捉えるのが正しいと思う。

1996年にはNHK「ふたりっ子」も始まり高い視聴率をあげて、将棋ブームを強力に後押しした。

一方、同じ年に将棋マガジンは休刊、近代将棋は経営悪化から経営陣が変わるということも起きている。

ブームはうつろいやすいもの。一見ブームに見えることが将棋界に経済的に中・長期的に寄与するとは限らない。

現在将棋を好きになってくれている女性ファンがいつまでも将棋を好きであってくれること、将棋ファンの女性が将棋の宣伝をしてくれること、が最も効果的であるし、そのことを目標に地道な活動を続けていくことが正しい姿のひとつだと思う。(もちろん、小学生に対する普及活動も同じように重要)