「正義のデビルがやってきた」

将棋世界1991年9月号、中野隆義さんの”王位戦挑戦者中田宏樹に直撃インタビュー”「正義のデビルがやってきた」より。

人情采配

 中田は、現在、日本将棋連盟軟式野球チーム「キングス」の監督を務めている。レフトを守り、六番を打つ。

 キングスのメンバーは、中田以下、泉正樹六段、達正光五段、植山悦行五段、小田切秀人初段(準棋士)、中川大輔五段、佐藤康光五段、森内俊之五段、郷田真隆四段、小河直純三段、飯塚祐紀三段、中座真三段、長岡俊勝二段、吉田英司1級、樋口達也2級、飯島篤也4級の面々。20代の若手棋士から10代の奨励会員まで、グラウンドに上がれば先輩後輩を忘れて白球を追う。

 月3回のペースでグラウンドに出る。メニューは、対抗試合と仲間同士の練習だ。草野球ブームの今、グラウンドの確保はひと苦労だが、このペースを崩さないのも監督の務めの一つと思っている。

 対抗試合では、ビートたけし率いる、「たけし軍団」と戦ったこともある。中田が出場した時の対戦成績は1勝1敗だ。

 中田と共に、キングスに10年居る小田切の中田評。

 「監督っていうと試合でサイン出したり、オーダーを決めたりする指揮官っていうイメージがあるけど、ボクらがやってる草野球のチームなんかだと、そういう事より、チームのまとめ役でいてくれる事のほうが大事なんです。その意味で彼はうってつけですね。

 采配一つとっても、回が進むとすぐ自分が引っ込んじゃうんですよ。ベンチに居る人を出そうとして・・・。彼は、駿足だし、けっこうシュアなバッティングで一発でかいのをかっとばすんです。だからチームが勝つためには自分が出てたほうがいいんですけどね。勝負に徹しない監督なんです。その調子で選手をどんどん入れ替えるんで、リードしてても後半追いつかれて逆転負けすることが多くて(笑)。でも、彼がもう4年も監督をやってて野球部の活動が盛んなんですから、皆、監督の人情采配でけっこう楽しく野球をやってるってことでしょうね。

 あっ、それと、野球とは関係ないけど、彼、滅多に笑わないんです。たまに笑ってもワッハッハなんて声を出さないし。中田君が笑うのは、親でシッピン引いた時くらいのもんでしょう」

 「えっ、シッピン?親でシッピンて何ですか」

 「やだなあ。おいちょカブの事ですよ。普通は手札の合計の一桁目が9になればカブって言って強い目なんだけど、親にはその他に、1と4(9でもよい)の目が出たら必勝で子方の張りを総取りできるってのがあるんですよ。その目が出たときの中田君の表情はまさに会心の笑みっていうか。大声こそ出さないけど、やった!って感じでガッツポーズかなんか作っちゃって、もう大変」。

デビルの独白

 口数はそんなに多いほうじゃない、と自分でも思っている。真面目でおとなしいタイプに見られているんじゃないだろうか。でも、こんな一面もあることをみんなに知っておいて欲しいんだ。それはある奨励会旅行でのことさ。

 奨励会旅行では、皆、羽を伸ばすんだ。そりゃ中には将棋を指しまくるヤツも居るけど、そういう者ばかりだと普段の奨励会とちっとも変わらないじゃないか。夜になれば、麻雀とかトランプ博打の御開帳となるんだ。ボクも気の合った連中とおいちょカブで一勝負さ。

 ボクは、その笑い方から「ニヒル」っていう渾名があったんだ。自分では、そうは思わないんだけど、結構はやっているみたいだったから、当たっているところがあったのかもしれないな。

 夜の9時頃から始まった勝負は、午前0時を過ぎても終わろうとはしない。大概は朝まで続くんだ。ボクらがちょっと気を入れてやれば当たり前のことさ。あの時のメンバーは、高橋昌毅、鈴木桂一郎、堀川修・・・。皆、一端の勝負師で、いつもはなかなか決着がつかないんだけど、あの日はなぜかボクが勝ちに勝ちまくった。お陰でだいたい1ヶ月分の生活費が浮いてしまった。奨励会員っていうのは、ほとんどお金がなくていつもピーピー言ってたから、そりゃあ大変な金額だったんだ。みんなオケラになっちゃって怒る怒る。

 「お前はニヒルじゃなくて悪魔だ悪魔、血も涙もないデビルだ!」なんて怒鳴ってたヤツもいたっけ。

 その夜から、ボクの渾名はデビルになっちゃったんだ。

名付け親

 「デビルのことですか。あの渾名の名付け親はボクなんですよ。なかなかいい渾名でしょう。そうそう、その前のニヒルってのもボクが付けたんです。それも捨て難かったんですけどねえ」

 若手棋士の兄貴分的存在である植山悦行五段の家には、トランプや麻雀等のゲームに興じる連中が、彼を慕って群れ集う。主なメンバーは、森内五段、郷田四段、田畑三段ら、もちろん中田もその中の一人だ。その集まりは、一昨年、植山が中井広恵女流王位と結婚した後も、一向に途切れることなく継続している。森内などは、植山の新婚ホヤホヤの時期に泊まりがけで押し掛けるという暴挙に出たところ、それがあっさり通ってしまい、本当にいいのかなと、大いに反省してしまったという。

 「デビルはけっこうヤルんですよ。おいちょカブはボクも得意だからまだ負けたことがないんですが、デビルもなかなか負けない。途中でちょっと不利になっても親になるとしぶとく盛り返すんです」

 植山と中田の二人が負けないとすると一緒にやってる他の連中は、たまったものではないだろうと想像する。

 「最近。1年くらい前かな。麻雀も覚えたし、トランプゲームもほとんどなんでもできるから、有力なメンバーとして重宝してますよ。それに金払いもしっかりしてますし」

 金にきれいである。というのはギャンブラーとしてなくてはならない資質である。

 「酒は、ビール一杯ですぐ真っ赤になっちゃいますけど、ここまではボクと同じなんだけど、赤くなってからがけっこういけるんです。まあ、でも、お酒が好きっていうタイプじゃないでしょうね。付き合いがいいんでそれで飲んでるって感じかな」

 カラオケも自分から行こうとは言い出さないけれど、仲間が行けばほとんど付き合う。レパートリーは、ニューミュージック系が好きで、よく歌うのは松山千春のナンバーだ。「長い夜」が特に気に入っている。

上増し

 中田の奨励会在籍期間は9年。平均は6年半ほどだから、かなり遅い方である。

 6級で入会した時から、奨励会が終わったら、結果を師匠(桜井昇七段)に連絡することになっていた。それを中田は忠実に守った。

 勝てば「よし、油断せずに頑張れよ」、負ければ「そうか、こんどは頑張れよ」と、電話での会話はそっけないものだったが、師匠の声を聞くとホッとした。

 自分には優しすぎるくらいの先生だと思う。一緒に出稽古に行った帰り道。夕飯をご馳走になる。

 「今日はご苦労さんだったな。ところで、お前いくら貰ったんだい」

 中田が受け取った稽古料を言うと

 「それじゃ」と、師匠は自分の封筒の中から札を取り出して中田に渡すのだった。収入の道のない奨励会員の中田にとって、有難い上増しである。初めての時は、「いえ、そんな」と言って辞退しようとしたが、師匠は、「いいから受け取れ。これは師匠の命令だぞ」と、少しおどけた口調で中田の申し出を却下した。稽古料の上増しは一度ならぬことであった。

 高校に進学する時。師匠はなにも言わなかった。今から思うと、どうも賛成ではなかったようだが、高校に行きたいという中田の希望を黙って通してくれた。そのことは深く感謝している。お陰で、体育祭や修学旅行等、個人個人が一つのかたまりになって何かをすることの楽しさを体で感じることができた。

(以下略)

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中田宏樹五段(当時)の「キングス」人情采配。

泉正樹六段(当時)も、監督としての中田宏樹五段(当時)は実に寛大で、部員は全幅の信頼を寄せていると書いている。

将棋連盟野球部員列伝(1991年版)

私が生の中田宏樹八段と初めて会ったのは、前期のNHK杯戦、中田宏樹八段-瀬川晶司四段(当時)戦の観戦記を書いた時のこと。

仕事もできるし部下からの信頼も厚い大手総合商社経営企画部統括マネージャーのような雰囲気、というのが私にとっての黙っている時の中田宏樹八段の第一印象。

昔は滅多に笑わないと書かれていた中田八段だが、解説の豊川孝弘七段が別の人に冗談を言っているのを聞いて時々ニコニコしてしていたり、何か話しかけられると、よくぞ聞いてくれましたというような感じで笑顔で話してくれたりと、人の話を聞いていたり自らが話している時の中田八段はとてもほのぼのとした雰囲気を持っている。

今期のNHK杯戦でも中田宏樹八段-橋本崇載八段戦の観戦記を担当させて頂いたが、その時の中田八段も、寡黙さの中に人柄の良さが滲み出ていた。

ちなみに、この二局とも、中田八段が勝っている。

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中田宏樹八段の順位戦での食事を見ると非常に特徴的があって、今期の東京では昼食:注文なし、夕食:「ほそ島や」のもりそばとライス、の組み合わせで6連投の4勝2敗。

昨年の傾向を見ても、昼は注文なし、夜は麺類+ご飯のパターン。

もりそばとライス、夜戦用の戦闘食といった雰囲気が漂うメニューだ。

私は「ほそ島や」へは一度も行ったことがないのだが、初めて行った時には、もりそばとライスを頼んでみようと真剣に考えている。

どのような食べ方になるのだろう。楽しみでもあり、不安でもある。