将棋世界1990年6月号、羽生善治竜王(当時)の自戦記〔全日プロ決勝第3局 対谷川名人戦〕「伸び伸びと指せた一局」より。
3月は将棋界の年度末。その最後の締めくくりに全日本プロ決勝という舞台で、しかも谷川浩司名人・王位と戦う事ができる。棋士としてこんな素晴らしいことはない。
(中略)
3図までは最近の流行形。自分が後手を持って指したことは今回が初めてだが、棋譜や研究会で似た形を何十局も見たことがある。だから、自信を持ってこの局面を迎えた。と言いたいところだが、実際はそうでもなかった。
なぜなら、一番肝心な何が最善かということを知らなかったから。いくら情報を収集してもそれを処理する能力がなければ意味がないという事を改めて感じた。
例えば3図。僕はこの局面がNHK杯戦の中原-井上戦と同一であることは知っていた。その後の展開も知っていた。でも、それでどっちが良いかは知らなかった。これではしょうがない。
3図以下の指し手
△6五歩▲同歩△同桂▲8八角△8六歩▲同歩△8五歩▲同歩△8六歩▲6六歩△8五飛▲9七桂△8一飛▲8二歩△同飛▲8三歩△同飛▲8四歩△同飛▲8五歩△8一飛▲6五歩△9五歩▲6四歩△6二金 (4図)
3図の局面、△6五歩か、△5五銀左か迷った。結局、△5五銀左は▲同銀△同角▲4六銀△2二角▲5八飛で自信がもてなかったので、△6五歩を選んだ。
中原-井上戦では▲5七銀上だったが、谷川先生は▲同歩。これに対して△7五歩が第一感だったのだが、▲2四歩△同歩▲2五歩△同歩▲2四歩の手筋講座によく出てくる継ぎ歩に垂れ歩で自信がなかった。
そこで、色々考えた挙句、本譜の攻めを考えたのだが、局後の感想戦でその攻めは将棋世界の中原先生の講座に出ていると指摘されてビックリ。早速、調べてみると、ありました、ありました。将棋世界12月号、中原誠棋聖・王座の「現代矢倉を探る」にありました。
そこから抜粋 ”▲6五同歩は△同桂で、以下▲6六角は△5五銀左、▲8八角は△8六歩▲同歩△8五歩のツギ歩でいずれも後手が指せる”.。いやー全然知りませんでした。中原先生の講座は目を通してはいたが、そんなに注意深くは読んでいなかった。これからは一字一句を見落とさないぐらいにしなくては。もっとも谷川先生も知らなかったそうなので、それを聞いて少し安心した。
(中略)
(中略)
昨年の年末に竜王位になってからの一つの目標が他の棋戦で優勝することだったので、とりあえずホッとしている。また、こういう勝負で谷川先生に勝てたことは自分にとって大きな自信になった。あとは・・・・・・・・・・・・・・・・・・なら本当に文句なしなんですけど。
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最先端の研究成果が、中原誠棋聖・王座(当時)によって将棋世界の講座に書かれていた訳で、そのような「青い鳥」が将棋世界に潜んでいたとは、竜王、名人とも気がつかなくても無理のない時代だったかもしれない。
現在で言う”知のオープン化”を中原誠棋聖・王座は先がけてやっていたということになるのだろう。
中原棋聖・王座は、この年の名人戦で谷川名人に勝ち、名人位を奪還している。
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ところで、羽生竜王(当時)の自戦記の最後に出てくる”・・・・・・・・・・・・・・・・・・”には、”・”が18個ある。
昨日は5文字の伏せ字だったが、今日は長目の伏せ字。
23年前のこととはいえ、非常に気になる。