将棋世界1992年1月号、谷川浩司竜王(当時)の自戦記「攻め倒されて2連敗」より。
11月11日。編集部の大崎さんと、電話で自戦記の相談をする。
候補は、棋聖戦の対内藤九段、明日の王将戦、対米長九段など。ただ、米長九段の方も自戦記の連載を持っておられるので、まず先輩の意向を伺ってから、ということになった。
1時間後にTELあり、米長先生から伝言があります、と大崎さんは嬉しそうである。
「余計なことは考えないで、全力でぶつかってきなさい」
だとさ。全く、何か一言ある先生だ。
色々とあったが結局、編集部の事情で竜王戦第3局を書くことになった。
夜の飛行機で上京する。10時頃、ホテルへ。
11月12日、先手の米長九段は、相矢倉から森下システムである。
竜王戦第2局が、前日の米長-高橋戦(順位戦)と全く同一進行だった、といういきさつもあり、米長九段は、もう一度△6四角~△5五歩と指してほしかったようだが、こちらが変化した。
昨日の伝言とは逆で、米長九段の猛攻を私は受けて立つ、という展開。
A図から▲2四角△同銀▲同飛△2三歩▲3四銀△2四歩▲2三歩△3一玉▲4三銀成△同金▲5二銀△4二▲4三銀成△同玉▲5三金で、B図。
飛車損の攻めだが、玉が裸なので受けにくい。以降も難しい終盤戦だったが、惜敗した。
米長先生は大いに御機嫌だったらしい。
竜王戦の時、衛星放送解説で来ていた先崎五段によると、大分にまで電話をかけてきて、
「谷川は何か言っていなかったか」と聞くのだそうである。
米長先生の強さには参りました、と私に言わせたいらしい。困った先生だ。
(以下略)
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この対局の控え室での風景。
将棋世界1992年1月号、大野八一雄五段(当時)の「公式棋戦の動き」より。
局後の感想戦で米長が「どうだ、俺は強いだろう」と胸を張って見せた一番。
この将棋を並べた棋士は、「こんな仕掛けで良くなるはずがない」とか、「無茶苦茶な攻めだ」と出てくる言葉は悪評ばかり。
そのくせ、ビデオテープを巻き戻すように仕掛けの局面に戻り、そこから「この攻めでねえ」とか「信じられない」等の言葉を首をかしげながら繰り返すばかり。
結局は分からずに「C図の△5六桂が敗着で△6五香▲6六歩△同香▲同銀△5六桂ならば大変だったんだって」の解説に、「信じられない。信じないぞ」だって。
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昔の矢倉の定跡書には、次のような手順が示されていた。(4七銀・3七桂型)
先手は▲4五歩から仕掛ける。
以下、△同歩▲同桂△4四銀(2図)
ここから、▲4六銀△4五銀▲同銀△4四歩(3図)
銀が殺されているように見えるが、▲2四歩△同歩▲同角△同角▲同飛△2三歩▲3四銀(4図)という攻めがある。
△2四歩なら▲2三歩と打って攻めが続く。
冒頭の米長邦雄九段-谷川浩司竜王戦は似ている攻めだが、▲3四銀と斬り込んだ時の持ち駒が銀と歩3で、4図に比べて持ち駒に角一枚足りないことになる。
そういったことから、控え室で「こんな仕掛けで良くなるはずがない」と言っていたのだと思う。
矢倉の戦いは難しい。