将棋世界1990年11月号、中村修七段(当時)の「プロのテクニック」より。
今考えても先の大阪遠征はつらいものでした。
対局前日、会館のある福島駅に降り立って見ると外は大雨。駅から目の前にある関西会館の途中は地盤が悪いのか、30cmぐらい水が溜まっている状態、当然靴もズボンもダメになりました。
対局の方は、振飛車穴熊に組まれて千日手、続く2局目、今度は居飛車穴熊にされて王手も掛けられずに完敗。納得の行かないまま、せめてうっぷん晴らしをと、記者室にいた奨励会員に何番か挑みましたがこれも思うようには行きません。
そして帰る日が祭日である事をうっかりしたため、浦野六段にお金を借り、ようやく10時発の新幹線に乗れたのです。
「いやはや、散々な遠征だったわい」と考えている内に、バスルームに干したままの靴下と、ネクタイを忘れて来たのに気付きました。とどめはその日の集中豪雨です。いつ動くか分からない状態で何度も停止させられたのには本当に参りました。結局、東京駅に着いたのは4時を回っていたのです。
(以下略)
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何と言えばいいのだろう。
2005年12月の日曜日24:00、気持よく酒を飲んだ私は、神田駅から中央線に乗って、寝てしまい、気がついたら戦慄の高尾駅25:30。
この日は休日だったので、銀行カードを持っておらず、所持金も残りわずか。
駅の前は真っ暗。12月の寒空の下。家までの距離は28km・・・
(この時の詳しい顛末→羽生少年の自転車)
この私が与えられた試練などがはるかに可愛く見えてしまうほど、1990年の中村修七段(当時)に降りかかった災難はヘビーだ。
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家に帰る直前に深さ30cmの水溜りに足を突っ込んだのならまだ諦めはつくが、出張の場合はこれからなので、靴とズボンの件は結構気が重くなる。
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最も重いのは、千日手の末の対局での敗戦。
この一戦に勝っていれば、同じことが起こっても、気分的にはずいぶん違っていたのだろうが、重なるときには重なるもの。
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1990年当時は銀行ATMの土日稼働が開始されて間もなくの頃だったので、銀行によっては祭日の大阪でキャッシュカードが使えなかったのかもしれない。
1990年の9月、都市銀行は12行あった。
第一勧業銀行、住友銀行、富士銀行、三菱銀行、三和銀行、太陽神戸三井銀行、東海銀行、東京銀行、大和銀行、協和銀行、埼玉銀行、北海道拓殖銀行。
この年の11月に協和銀行と埼玉銀行が合併を発表することになる。
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今はどのようになっているのかは分からないが、昔は関西将棋会館の4階に宿泊室があった。
ビジネスホテルのような部屋だった。
対局前夜に福島駅から関西将棋会館に直行したということから、中村修七段は関西将棋会館の宿泊室に泊まった可能性が高い。
靴下やネクタイを一般のホテルに忘れた場合と、関西将棋会館に忘れた場合と、どちらが辛いかという問題も絡んでくる。
難しいところだが、どちらにしても忘れ物は辛い。
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新幹線に6時間乗車も厳しい。
嬉しいことがあった直後の6時間と、そうではない後の6時間では、全く異質の世界だ。
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ところで、今年は”全局解説”という順位戦ラス前解説会が東京将棋会館2階研修室で開かれる。参加費は2,000円。
非常に画期的なことだ。
そして、中村修九段が、4回の大盤解説会のうち、自らが対局するB級2組を除く3回を担当する。
とても大変なことだと思うが、エキサイティングであることは間違いない。
今日が1回目だ。
C級1組全17局大盤解説会 2月5日(火)
中村修九段、上野裕和五段、高見泰地四段、上村亘四段、中村真梨花女流二段
B級2組全12局大盤解説会 2月7日(木)
片上大輔六段、村中秀史六段、上村亘四段、本田小百合女流三段
C級2組全23局大盤解説会 2月12日(火)
中村修九段、神谷広志七段、窪田義行六段、石田直裕四段、井道千尋女流初段
B級1組全6局大盤解説会 2月14日(木)
中村修九段、北浜健介七段、門倉啓太四段、渡辺大夢四段、北尾まどか女流初段