羽生善治六段(当時)「ええ、僕もそう思います」

将棋世界1990年3月号、脚本家の石堂淑朗さんがホストの対談「石堂淑朗の本音対談」より。

ゲストは大内延介九段。

石堂 テレビとかで見ていると、若手の方が隙あらば斬り込む方だから、アマチュア受けはしますね。いきなり殴り合いが始まるのは、風格はないけど面白さはあります。

大内 棋風がワクにはまっていない。それが個性なんでしょうけど、いいものがいっぱい出てきたという気がしますね。

石堂 棋風というか、大内さんなら大内さんの型がありますね。今の新しい人たちは、型にはまったところがないですね。

大内 そう、棋譜を見ても誰の将棋か分からないのが多いです。

石堂 文化は型である、とよく言われます。型がないのはどんなにいいものでも、文化でないと。そこから、今の若手の将棋は文化じゃないのでは、となるのですが。

大内 それは短期的に物を見過ぎます。何年か続けていれば、型が出来ますよ。まだ、そういう点では未熟だと思いますが。

石堂 大内さんはいつ頃からですか、型が出来たのは。

大内 僕は三段位から。三段時代の棋譜を見ると、今はあまり強くなっていない気がしますね(笑)。三段に三年ほどいて、升田さんの将棋が好きでしたから、よく並べました。僕から見れば、大山さんは升田さんの斬られ役でしかないんですよ。だから、升田さんの将棋に似ているかと言えば、ちょっと違う。ただ升田さんの思想なり手というものが、もの凄く良く分かる。大山さんの思想、手は分からないですね。

石堂 困ったものですね(笑)。

大内 将棋は本人が作る訳ですから、人間的なものが少し出来てこないと、固まらないんじゃないですか。早く固まり過ぎるのも良くないし。僕はもの凄く頑固なところがあるので、早く固まったような気がします。今の連中は話してても、頑固なところがないでしょう。何かノレンに腕押しで、何を言っても同じ答えが返ってきて、面白くもおかしくもない。模範生の集まりですね。これから、恋愛したり、酒を覚えたり、社会の中に出て行った時、どう変わって行くか、非常に興味深い。将棋の指し方、棋風がどういう風に変化していくか、見るのが楽しみだと思っています。

石堂 将棋の世界以外でも、今の若い連中は、何か違っていますね。今、大学生は出席率が皆いいそうですね。いいけれど先生の話は聞かないで、私語ばかりしている。講義を聞くのではなく、友達同士が会って、友達が自分と変わらないということを確認するために来ると言うんですよ。

大内 そういう中で、自分の答えを持っているんでしょう。

石堂 いや、持っていない。相手が一つ違う答えを持ちそうだと、慌てて一緒になろうと努力するんです。

大内 その辺りが羽生君なんかと違いますね。天童での将棋の日で、次の一手名人戦というのがありまして、観客に出すヒントの係として、棋士が最前列に座った時、隣が羽生君だったんですよ。暇な時「羽生君、次はこうやる手じゃないの」と言うと「ええ、僕もそう思います」。しかし、アナウンサーが羽生君を指名すると、僕にそう思いますと言った手じゃなくて、羽生君という手をピシッと言っている。それが何回かあったんですよ。僕は何か裏切られたような気持ちでしたね(笑)。僕の若い時は、「いや、先生はそう言いますけど、僕はこの手をやりたいですね」という答えをしたはずなんです。先輩に恥をかかしちゃいけないという気持ちか、そう答えた方が無難という考え方であったのか、羽生君は同調してくれる訳ですよ。そして、羽生善治という手を言ってくる。これは随分、シンのしっかりした凄いヤツだなと。陰険なヤツだとも思いましたよ(笑)。

(以下略)

—–

将棋世界の同じ号で、先崎学四段(当時)が屋敷伸之四段(当時)のことを「まったく陰険なやつだ」と冗談混じりに言っているので、この当時、将棋連盟内では「陰険なヤツ」という言葉が流行語だったのかもしれない。

先崎学四段(当時)「ボクですか。ボクは、正直者の東の小結ってとこですよ」

—–

大内延介九段の”怒涛流”。

自陣を穴熊に固め、サウスポーで大駒をズドンズドン切って敵陣に怒涛のごとく迫る。

穴熊の時だけではなく、美濃囲いでも早美濃でも怒涛の指し手が出るのが大内流。

その押しの強さが豪快だった。

棋譜を見れば、大内延介九段と分かるような、個性溢れる将棋だった。

—–

この頃の若手であった羽生世代の棋士。

この数年後から、それぞれが、その特徴と個性を活かした将棋になっていく。

—–

レストランでメニューを見て、「今日はカキフライかな」と心の中でに決めたものの、店の人に「ご注文は?」と聞かれた瞬間に、(いや、カツカレーも捨てがたい)と瞬時に思い、「カツカレーをお願いします」といったことが何回もある。

これは血液型がAB型の人に多いことなのか私だけのことなのか分からないが、羽生三冠もAB型。

聞かれた瞬間に、今まで考えていた選択肢と違うことを答えるのがAB型の人の特性だとしたら、天童の将棋の日の羽生竜王(当時)の行動も理解しやすい。

・・・とは言え、そんなことは私だけのことかもしれず、ここは多くのAB型の方のご意見を待ちたいところだ。