高田宏「木を畏敬する心」

昨日の記事で触れた、作家で前・将棋ペンクラブ会長の高田宏さんが、将棋世界1990年1月号に書かれたエッセイ「木を畏敬する心」より。

非常に味わい深い文章。

 すこし前、『新潮』に「木に会う」という連載をした。1年間の連載のあとで同じ題名の本にしたのだが、そのあいだにかなり森をあるき木に会ってきた。その後も折りがあれば森につつまれ木に会うための旅をしている。

 屋久島の縄文杉のような老大樹にも会ってきた。あの島の奥山には縄文杉だけでなく、千年、二千年という長大な生命を生きつづけている木が数多くある。千年、二千年を生きたのちに倒れ、その幹の上にまた新しい木を育てている光景もある。新しい木もまた、すでに数百年を生きている大木である。

 森のいのち、そして木のいのちの不思議に打たれる。木は私たち動物とはちがって、生と死を、また若さと老いを同時に生きている存在なのだ。

 数千年を生きている縄文杉は、大きな空洞をかかえている。この木が芽生えてからの何百年か、あるいは千何百年かの時間、その身体であった部分は、すでに死んで空洞になっているのだ。だから、炭素測定法をつかっても、この木の年齢は確定できない。過去の時間を示す核の部分が失われているからである。しかし、縄文杉は今も若々しく葉を茂らせている。木の中心部は死んでいて外側は生きている。幹の内側のほうでは、木質部が残っているところでもすでに老いて樹液を運んでいないのだが、外側のほうは若く活発に地中からの水分を吸い上げている。

 木は動かない。動けない。生まれた土地でそのまま一生を終えてゆく。私たち動物からみると、いかにも不自由に思える。しかし、木は動かなくていいから動かないのだ。動物は食べものをさがしてうろつきまわるけれども、木は大地から吸い上げる水と太陽の光とで、光合成を行なって自分で食べものを作っている。私たちは食べものを手に入れるためにエネルギーを使って、老いて死んでゆくのだが、木はそんな無駄なエネルギーを使わなくていい。おそらくそのために、木は人間よりも長大な生命を生きているのだろう。

 三百年、五百年の木はざらである。山には八百年とか千年とかの木があちらこちらに立っている。里でも神社の森などでは伐られずに残っているので老大樹がある。

 伊豆半島の神津浜に近い来宮神社には、二千年の楠の木がある。春の若葉のとき、この木の下に立つと、そのあふれる生命に私たちまで染められるそうな気がする。

  

 私たちの暮らしは、そういう木と森の恵みで支えられてきた。太古からずっと、私たちの祖先はこの日本列島の森によって生きてきた。平地の森を伐り拓いて水田を造りだした弥生時代以降も、里山の森の落葉を肥料としなかったら稲作はつづけられなかった。森の木で家をつくり道具をつくってきた。薪をとったり木炭をつくったりして燃料を得てきた。

 それゆえに、森への畏れ、木に対する信仰が人びとの心に生きていた。木を伐るときにはまつりごとをして、山の神様の許しを得、感謝の心をささげてきた。

 この三十年ばかり、私たちの暮らしが大きく変わった。森と木への依存が少なくなった。化学肥料、プラスチック、石油等々、森や木から離れたもので暮らしだしたからである。

 そのぶん、森や木への畏敬の心が減ってきた。

 デコラやスチールの机が上等と思われるようになった。木の机とちがって傷がつかない。このごろようやく木のあたたかさが見直されるようになったけれども、大きな流れとしては木を畏敬する心は昔と比べものにならない。

 大きないのちからいただいた木の道具を、日々に大切にする心が減ってしまった。

    

将棋の道具は、すべて木だ。盤は榧や桂、駒は黄楊、駒台は桑。ほかの木材のも、プラスチック製のもあるけれども、ちゃんとしたものは木でつくられている。

 それはとても大切なことだろうと思う。

 プラスチックの盤と駒でも将棋は指せる。しかし、何百年もの生命をいただいている木の盤と木の駒で指すからこそ、そしてその生命への畏敬の心をおのずから持つからこそ、将棋というゲームが単なるゲームを越えた何かを持ち得るのではないか。

 棋士が駒を盤に並べ、一つ一つの駒をうごかしてゆくときの指先に、それを感じる。棋士がいちいち、これは何百年の木の盤だとか駒だとか考えているとは思わないが、木の盤と駒のなかにある木のいのちが、自然に伝わってくるのであろう。

 そうであってほしいと思う。世の中がどう変わろうと、将棋の世界では木のいのちに触れつづけ、木のいのちを畏敬する心を持っていってほしい。

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屋久島に行ったような、伊豆半島に行ったような、森の中にいるような気持ちになれる。

たしかに、木の寿命は人間とは二桁違う。

何気なく触れている駒や盤、そして、将棋がゲームを超えた何かであること、私たちが脳内のどこかで無意識のうちに感じていることを、うまく引き出してくれている。

繰り返し読めば読むほど、味わいが広がるエッセイだ。

     

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