真夜中に来た真剣師(後編)

小池重明が最も苦手としていた真剣師たち、最終章。

近代将棋1997年5月号、湯川博士さんの「アマ強豪伝① 安嶋正敏」より。

 1局目が始まった・・・。

 安嶋は茨城の日立よりやや先の田舎町で、食品雑貨店の息子として育ち、こどものころから将棋が強く、中学のときすでに地方まわりの強豪と手合いさせられたそうだ。有名な通天閣の大田学老も、この地方の旦那を訪れたとき安嶋と手合わせしている。日立一高から国立茨城大学工学部へ進むが、将棋に凝ってあまり行かなくなり、ついには退学した。私もこれに近い経験があるが、一度休むとたまに行っても一般学生と感覚的にずれ、ここはオレの来るところじゃねえ、なんて気がおきて行きにくくなるものだ。

 彼は将棋も強いが、あまり強いと田舎では場が立たない。ふだんは水戸の素人麻雀屋にもぐり込んで暮らしている。

 「田舎だからぁ、夕方から半チャン4、5回やってぇ、ちょこっと勝たしてもらうくらいなんですよ~」

 親しくなったころ、丸い顔にほんの少し笑いを浮かべ、生活の一端を話してくれたことがあった。

 安嶋にとっては真剣の旅といっても金のためではない。多少真剣の割り前が入っても、好きな競輪で皆使ってしまう。ちなみにジョージは儲けの半分を安嶋にくれるというから良心的だ。

 彼の青春には燃える場所が将棋しかなかった。しかもあまりに強くなったため、並みのアマ強豪とやっても燃焼できない。将棋大会でもあまり力が出ない。ところが強い相手との真剣だけは、体の芯が燃えるように感じるのである。ジョージの見切りは確かで、このときの安嶋は、不完全燃焼をぶつける相手に小池を見付けたのだ。

 (今の安嶋クンなら小池に勝てる。しかも今の小池には皆が乗るはず・・・」

 確信したジョージは、安嶋ルートで仕掛けを通してきたのだ。無骨い顔に似合わずなかなかの読み手だ。彼は胴巻にしっかりタネ銭を巻き、一人で全部受けるつもりで乗り込んできた。

 私が不思議だったのは、闇試合であるべき真剣なのに、雑誌に載せることにはなんの抵抗も示さず、無関心を装ったことだ。どちらにしろ負けた将棋が公表されるが、それはお互い様、自分の将棋が認められるという秘かな楽しみも味わえるからいいのか。

 この勝負のあともずいぶん真剣試合を載せたが、お礼はしなくていいし、そのくせ内容が濃く読者の人気が高い読み物になり、一石三鳥の企画になった。

 試合は安嶋が先勝し、小池が返して1勝1敗。午後の2時か3時だったと思う。私はふと何も食べていないことに気が付き、

 「えーと、食事はいかがします?」

 「いやオレはいいけど、安嶋クンは?」

 いつもは大食漢の小池が、メシはいらんと言う。町道場での真剣ならば、ラーメンやら炒飯を取ってくれと言うのに。

 安嶋も小さな声で、

 「オレもいらねぇ・・・」

 1局目のアナグマを居飛車の速攻(▲5七銀左)で潰された小池は、以後4局ふつうの振り飛車。小池に勝つには、本格の攻めも出来てその上妖しい将棋も指せる人か。聞くところではジョージも同じタイプらしい・・・。

 3局目。終盤の入り口、いちばん忙しい局面(図)で安嶋は長考の末、飛車をつかんでポチャッと冴えない駒音を立てた。

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 2筋は開いているので、てっきり▲2二飛成と思い安嶋の手元を見ると、少し手前の2四だ。せっかく成り込めるのにねぇ・・・。

 小池はたいして気にもせず、「ン?」という顔で手を進めて行った。そして王手成銀取りの角打ちに安嶋が珍しく駒音を立てて王手(下図)。

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 小池の顔色が変わった。露骨に「チッ」と舌打ちするや、やけな手つきで同歩と取るが、安嶋は飛車切りを見せて、あっというまに寄せた。

 「アツイ!」と小池は叫んだが、安嶋はむっつり無言。ジョージが蛇の鎌首のように首を回して皆の顔を見た。私はこの勝負、見えたと思った。今日の安嶋が2連敗はすまい。するとカド番の小池に逆転はないと・・・。

 2-2のあと最終局が始まったのは夕方6時過ぎ、店を開ける時間だ。30分ほどして常連のイシダ先生がほろ酔い加減で入ってきた。皆黙りこくって盤面を見つめ、先生のほうへはチラリ。

 「あっこれは大変な勝負の最終ですね」

 きびすを返して出て行った。

 終盤安嶋の受けの絶妙手が出て、179手で勝った。瞬間安嶋は「ども・・・」と一礼。食器棚に乗せられていた、分厚い角封筒をジョージが素早く懐にしまった。負けた小池はビールもそこそこに外へ飛び出して行く。

 安嶋は憑きものが落ちたようなスッキリした顔になっていた。

 ふだんは口にしないビールを一口飲み、

 「今日は小池さんと将棋が指せてよかった」

 小池に乗ってすっかり取られた連中は、安嶋とジョージに恨めしい視線を向けていた。やがて二人は、ビール一杯も空けないうちに、ドアの向こうへ消えて行った。

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将棋天国1979年10月号、湯川恵子さんの「将棋隊来客簿 真夜中に来た真剣師」より。

文中、必至=湯川博士さん、山田隆二郎=安嶋正敏さん、藤川=ジョージ(故・吉田穣児さん、将棋スナック・桂馬=将棋スナック・リスボン)。

 そしてその晩―。

 遅くなって、二日前の晩とまったく同じ調子で、三人一緒に帰って来たのだ。

 山田は、やはり「どうも」と言ったきりほとんど口を閉ざしていた。しかし、藤川はまるで人が変わっていた。

 「いやァ奥さん、おかげ様で、どうもどうも。」

 「あのK氏はね、強い、確かに強い。しかしこの山田の将棋だったら彼に通じるんです。私はそう確信しとりましたから」

 「イヤァ、どうも、奥さんにも大変ご心配かけまして、やっ、きょうは平手にしましょう。奥さん強いですよ。私と奥さんは平手がちょうどの手合いってもんですよ。はっは、平手、平手」

 今朝10時から始まった勝負は、終わったのが午後10時も過ぎていたという。結果は、山田が先勝、それから一局一局シーソーゲームをくり返し、きっちり五番まで指したそうだ。

 最終局は170手を超し、野次馬観戦の必至まで、「胃が痛くなったヨ」と、あとで白状したものだった。

    

 翌日。

 また三人一緒に出て行った。必至は宇都宮へ。山田と藤川は、昨晩必至が隣町の支部に話をつけていたから、そっちへ向かったのかもしれない。

 彼らは三日前にやってきた時と同じスタイルで、ぶらぶらと帰っていく。その後ろ姿を見ながら、私は、ホントにもうこれっきりなんだわと、そう思っていたのだが・・・。

 同じ日、予定通り午後から都心に出かけて、わが女性将棋愛好会は某大学将棋部と対抗試合を行った。その結果はさておいて―。日が暮れて、先方の招待で全員夜の街へくり出すことにあいなった。目的の店は前述の将棋スナック「桂馬」。

 カウンターが6、7席、あと半分に将棋盤が5、6面すえてあって、飲みながら指せる店である。日曜日は休みのところ、われわれが押しかけるというので、マスターが開けてくれたのでる。

 完全貸し切り。広くもない店内は、女性9人、学生9人のおしゃべりと駒音で天井は吹っ飛びそうなにぎやかさであった。この同じ場所で、昨日は胃の痛くなるような真剣勝負が行われたとは・・・私は酔っ払ってボンヤリした頭の隅で、山田と藤川の薄汚れた顔をなつかしく思い出していた。山田のまじめな童顔は、なかなか愛敬があった。藤川の顔は骨っぽい輪郭した浮かんでこない。不思議な人だった。

 マスターを仕手に、つい口がすべった。

 「それにしても、大学生ってのはさわやかですねー、夕べの藤川さん達なんかと比べると、実にさわやかです」

 「えっ、それじゃ、夕べもまたヤラレちゃったの?」

 「そ、なんせウチのヒトがああいうひとだから、結局三つ泊まって、黙って帰って行きました」

 「やっぱりねェ。実はあの最初の晩もね、彼ら、ここでお宅のご主人と出くわしたんですよ。で、ご主人が自分ちへ連れてくって話になっちゃったからサァ、こりゃ当分ヤラレルなあって、心配してたのよ」

 「さすが苦労人は違いますね。彼、宇都宮でクシャミしてるかな」

 「しかしあの勝負はねえ、藤川組が勝って幸いでしたよ。これが反対になっていたら、ちょっと目が当てらんないとこですからねえ」

 事情通のマスターがしみじみとそう言った。そこへ――貸し切りのはずの「桂馬」のドアがギィッと開いた。

 まあるいヒゲ面に黒ぶりメガネ、サラシの腹巻・・・・・・今朝別れたはずの山田であった。

 山田は私を見つけて、少しほほえんだきり静かに飲み始めた。マスターが藤川さんはと聞いたら、

 「ちょっと用足しして、じきに来るでしょうけど」

 と言った。私はこんどこそ、藤川の顔をとっくりと見詰めてやろうと思った。

 ほどなく、その藤川がやってきた。藤川はすぐにニヤリとして、またお会いしましたねと言った。その顔は少し色が白くなってツルンとしていた。シャツもズボンも今朝と同じだが、ピッチリとアイロンがかかっているようで、全体にサッパリとした感じに変わっていた。勝負に勝った真剣師の金主は、きっとサウナでも行って、中身と両方クリーニングしてきたってところかな。

 女性と学生ばかりの場違いなムードを察してか、藤川はそうそうに勘定をすませてドアのほうに向かう。山田もそれに続く。

 こんな夜更けにどこへ帰るんだろう。

 (お帰りですか?どちらへ?)

 と、つい聞きそうになって、私はようやく最初の晩、この店で飲んでいたという必至の心の中がちょっぴり理解できたような気がした。

 山田のまあるい背中が消えて、「桂馬」のドアがバタンと閉まった。

 (どちらへ?)と聞きたい胸を打ち消すように、私は

 「バイバーイッ」

 と手を上げた。

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安嶋正敏さんは真剣をやっている時代もあったが、基本的には現代のアマ強豪にも通じる部分がある。

この後、安嶋さんは上場企業に入社しエンジニアとなる。

ネットで調べると、安嶋さんは2005年の関東アマ名人戦・茨城ブロックで優勝し、関東大会では4勝2敗の4位につけているという最近の記録もある。

故・吉田穣児さんは昭和12年生まれ。

一般的に名前はあまり知られていないが、本物の真剣師だった。

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歌舞伎町にあった将棋スナック・リスボンは1996年に閉店している。

私は一度も行く機会はなかったが、様々な伝説が生まれた店だった。

社会人団体リーグ戦で「リスボン」という強豪チームがあるが、このリスボンに由来している。

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大学生将棋部と対抗試合をやった「女性将棋愛好会」は現在の「フェアリープリンセス」。

やはり社会人団体リーグ戦に出場しているチームだ。

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この対局が行われた1979年7月、私は何をやっていたのか思い出してみた。

7月上旬、仙台の母校(高校)で教育実習。

7月中旬。大学のゼミの夏合宿。伊豆の妻良にて4泊5日だったか5泊6日。男性9人・女性4人と先生。生まれて初めて海に入ったのもこの時だった。普通なら海水浴と言うのだろうが私は泳げないので温泉のように海の水につかっていた状態。この時以来、海の水には一度も触れていない。

7月下旬、日焼けにより全身から皮が剥ける惨状。

広い東京の空の下、いろいろなことがあったんだなあと思う。