森内少年の作文

将棋世界2002年8月号、田丸昇八段・編集長(当時)の森内俊之新名人大特集「二重三重の喜びにわく森内家」より。

 渋谷駅から東急新玉川線に乗っておよそ30分。横浜緑区の青葉台駅に着きました。この駅から徒歩15分ほどの閑静な住宅地に、瀟洒な家構えの森内家がありました。

 この日は将棋史研究家の越智信義さんに同行してもらいました。実は越智さんは、森内俊之名人の祖父の故・京須行男八段と親しかった縁から、京須八段亡き後も京須家とは家族ぐるみでお付き合いしてきたそうです。

 私たちを出迎えてくれたのは、京須八段の長女で森内名人の母親である節子さん(58歳)でした。京須夫人のたみさん(88歳)も後で顔を見せられました。

(中略)

「俊之は子どものころ、いたずら好きで行儀がすごく悪かったんです(笑)。それでピアノや絵などを習わせましたが、長続きしませんでした。将棋を覚えたのは小学3年のころで、父親(信康さん・67歳)が教えました。なぜか指している間はおとなしくていい子でした(笑)。

 俊之は将棋がとても面白かったのか、母のところに送られてくる『将棋世界』をくる日もくる日も読み、父の形見の駒を独りで動かしていました。そこで将棋会館で行われていた土曜教室に通わせることにしました。実はその教室の講師が父の弟子だった工藤先生(指導棋士の浩平六段)だったからです。

 工藤先生にはとてもお世話になりました。土曜教室の後、俊之は先生の自宅に泊めていただき、日曜日の大会に出させてもらいました。先生の1歳違いの息子さんやお弟子さんたちとも、よく一緒に行動していましたね。先生の郷里の青森にもよく行きました。

 俊之は教室に入った当初、でたらめな将棋を指していたそうです(笑)。でもやがて強くなり、デパートの子ども大会などに出て羽生さん(善治竜王)と決勝戦を争うことがよくありました。小学生名人戦でベスト4に入ってNHKテレビに出たころには、プロ棋士になりたいと本気で思っていたようです」

 節子さんは森内名人の子ども時代のことをこのように語りました。

 森内少年は心から将棋が好きだったようです。それを象徴するのが、今月号の表紙に掲載させてもらいました小学校の卒業アルバムや作文です。無地のアルバムの表面には大きな「王将」の駒を描き、裏面には『煙詰め』で知られる江戸時代の長編詰将棋を書きました。また、作文や日記の内容はほとんどが将棋のことばかりだったそうです。

 では、森内家の好意で拝借した森内少年の作文から、一部を抜粋して紹介させてもらいます。将棋に夢中だった少年時代のことがよくわかります。

『ぼくは毎週土曜日に将棋連盟の土曜教室に通っています。三年生の七月七日からいきはじめたから、もうすぐ二年になります。いつも学校から帰るとごはんを食べて、一時三分の快速に乗っていきます。場所は千駄ヶ谷です。教えてくれる先生はプロの棋士で、工藤五段、小堀八段、松下八段、山下女流名人です。早く奨励会試験にうかって四段になりたいです』(土曜教室のこと)

『三月二十八日の午前十時から小学生名人戦がありました。場所は将棋連盟の研修室と道場です。予選は二勝通過二敗失格です。ぼくは二連勝で通過しました。本戦は午後一時から始まりました。ぼくは一回目は楽勝、二回目はあぶなかったけど勝ち、三回戦四回戦と進みました。三時ごろになると、始め三百三十八人いた人が二十人ぐらいになりました。五回戦はせめられてうけにまわりましたが、せめかえして見事に勝ちました。

 ベスト4に入れたので四月三日はNHKです。準決勝A組は羽生君と斎田君、B組はぼくがすごいまちがえをして山下君の勝ち。決勝は山下君がとちゅうで間ちがえて羽生君が勝ち、羽生君が第七回小学生名人となりました。表しょうしきの時、大山康晴十五世名人とあくしゅしてもらいました。小学生の大会はこれから八こあるので、できるだけたくさん三位までに入りたいと思います』(小学生将棋名人戦)

 昭和57年秋、小学6年の森内少年は同年の羽生少年らとともに奨励会試験を受験しました。そのとき工藤六段から師匠として紹介されたのが勝浦修九段でした。実は、かつて勝浦九段は若いころに節子さんの実家の京須家に数年間も下宿していたことがあったのです。そんな縁により、森内少年は勝浦門下となりました。

(つづく)

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勝浦修九段が故・京須八段の家に下宿し、そのことがきっかけで森内俊之名人の師匠になったことは、NHK将棋講座最新号にも書かれている。

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私が小学生の頃、どんな作文を書いていたのかあまり思い出せないが、二つだけは憶えている。

一つは小学校の3、4年の頃のもので、クリスマスにケーキを食べたら少し気持ちが悪くなったけれども、たくあんを食べたら楽になった、というもの。

授業参観の時に読まされたのだが、その日の夜、私の母親は「恥ずかしくて家に帰りたくなった」と嘆いていた。

たしかに、ケーキを食べた後にたくあんを食べるということ自体が変だ。

母親が恥ずかしかったのはそういう部分ではなかったということだったが。

もう一つは卒業文集。

「将来の夢」というテーマで、私は「天文学者になって第二の地球を見つけたい云々」と書いている。

今から思うと、これもとても変だ・・・

やはり、森内俊之名人の少年時代の作文は、桁違いに中身があって素晴らしい。

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