藤井猛六段(当時)と同じ野球のユニフォームを着た応援団。

近代将棋1996年2月号、大矢順正さんの「棋界こぼれ話」より。

キングス現役対OB戦

 初冬の午後。

 草野球のメッカ・神宮外苑野球場のベンチ裏には神宮外苑名物のイチョウ並木から飛んできたのだろう。数枚の黄色のイチョウの葉が散っていた。

(中略)

 ベンチを覗くと歓声が上がっている。

「走れ!走れ!回れ!回れ!」

 大声援に鬼のような形相をして二塁から三塁。一瞬止まったかと思うと「走れ!走れ!」と無情とも思える声援が飛ぶ。

 もう走る気力はあっても足が言うことを聞いてくれない。

 しかし本塁目指して走る。

 本塁ベース1m前までヨタヨタ走ってきたが、ここでヘッドスライディング!それより一瞬早くボールが届いていた。

「アウト!」

 無情な審判の声に悲鳴に似た歓声と拍手の雨あられ。

 一塁から長駆ホームまで力走したのはDH専門の佐藤義則七段、47歳。

 将棋連盟の野球チーム「キングス」とそのOBたちとの親善試合での一コマ。

 OB現役棋士チームの顔ぶれは、キャプテンが飯野六段に補佐役の武市五段。

 武市五段は、地元のチームに所属して月に2、3回は試合をしているというから現役バリバリといったところ。さすがに動きは抜群だ。

「昔はもっとスマートだった、いまは少々太めになってね…」というのは最年長で私服で参加した滝七段。もっぱら野次将軍と理事の特権を行使して(?)打ち専門のDH。

 トップバッターで二塁を守るのは田中寅九段。見事にライト前にヒットを打ったが、いきなり牽制悪送球で一気に本塁まで走った。いや、最後はほとんど這っていた。でも「昔とった杵柄、まだまだ若い者には負けない」と怪気炎。

 <かつては渋谷区の大会でも好成績を挙げた>というキングスOBのグラブさばきとバッティングは現役チームより分がありそう。

 しかし、さすが走ることになると大差で若手に軍配が挙がるのは仕方ない。

 この現役棋士に引退棋士が駆けつけてきた。今は滋賀県で競馬新聞のトラックマンをしている片山氏は、遠路はるばるこの日のためにやってきた。

 佐藤大四段(佐伯八段門)も鎌倉から馳せ参じた。小田切二段(佐瀬九段門)は連盟職員の夫人同伴で参加していた。

 豪腕でなるエース・有野芳人六段が所要で参加できなかったが、この日は簡易郵便局長をやっている植野博五段(関根九段門)が、会計士の高徳氏(二上九段門下)とバッテリーを組んで力投。

 この二人はやや太めながら動きはなかなかのものであった。

「運動不足を解消しいい気分転換になるが、こうして昔の仲間と久し振りに会って歓談するのも楽しい」と田中九段。

アツアツムードの現役ベンチ!

 実は、この日はダブルヘッダーを行ったのである。若手棋士はともかく、OBチームにとっては辛い選択だ。

 ところが、聞くところによると、それまで負け越しているOBチームが、2試合やって一気に借りを返そうという事からの提案だったとか。

 一方、現役キングスは棋士と奨励会員で構成されている。

 ただ一人、コート着てベンチを温めていたのが中田宏六段。

「前の試合で手の親指のつけ根のじん帯を切ってしまって…」

 見ると親指には白い包帯が。それでも応援に駆けつけて来るところがいかにも中田らしい。

 ベンチの上段に陣取って黄色い声援を贈っていたのが、秋に婚約を発表した藤井六段の婚約者の土屋さん。土屋さんは藤井と同じユニフォームを着てお友達同伴での応援。

 婚約のキューピット役的の真田六段やグループ交際していたころの中川六段ら顔なじみもいることでベンチは賑やか。

 2試合目のマウンドに立ったのはエースでありキャプテンの中川。

 この日の約1週間前の土曜日に、中川は囲碁棋士である宮崎志摩子三段を伴って、師匠の米長九段の自宅に赴き婚約を報告したばかりだった。

 1995年は若手棋士の婚約、結婚が相次いだが、その掉尾を飾るかのような婚約であった。

 宮崎三段は女流名人を獲得したこともあり、今後の活躍が期待される若手棋士である。中川は連盟の囲碁会の幹事を務めており、その関係で知り合って半年前にプロポーズしたものだという。

 1996年は結婚式が相次ぐ。先ず3月28日が羽生・畠田組、31日が藤井・土屋組、4月10日が塚田・高群組と続くが、中川は「ぼくは、みなさんとは間を置き秋(10月の予定)に式を挙げます。仲人は師匠にお願いして快諾を得ております」と嬉しそうに語っていたが、野球の試合の方になると、途端顔が渋くなる。善戦むなしくOBチームに2連敗してしまったのだから無理もない。

 最終回、満塁から大反撃してあわや逆転というセンターへの大飛球を飯野キャプテンの超美技でゲームセット。

 打った奨励会員の飯島は、ベンチで泣き崩れていた。

 その背にイチョウの葉がヒラヒラ…。

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「豪腕でなるエース・有野芳人六段が所要で参加できなかったが」

エースであり強打者の有野芳人六段(当時)を欠いても勝ってしまうのだから、OBチームはすごい。

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「武市五段は、地元のチームに所属して月に2、3回は試合をしているというから現役バリバリといったところ。さすがに動きは抜群だ」

武市三郎五段(当時)は、この1年前にキングスについてエッセイで書いている。

人情の教室

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「『昔はもっとスマートだった、いまは少々太めになってね…』というのは最年長で私服で参加した滝七段。もっぱら野次将軍と理事の特権を行使して(?)打ち専門のDH」

ここでも滝誠一郎七段(当時)がいい味を出している。

村山聖八段(当時)が東京で兄貴分として慕っていた滝七段。

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「この現役棋士に引退棋士が駆けつけてきた。今は滋賀県で競馬新聞のトラックマンをしている片山氏は、遠路はるばるこの日のためにやってきた」

片山良三さんは花村元司九段門下。ペンネーム「銀遊子」として、キングスのことについて書いている。

関東奨励会VS関西奨励会の野球決戦

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「佐藤大四段(佐伯八段門)も鎌倉から馳せ参じた。小田切二段(佐瀬九段門)は連盟職員の夫人同伴で参加していた」

こども将棋教室 棋友館館長の小田切秀人さん。

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「見ると親指には白い包帯が。それでも応援に駆けつけて来るところがいかにも中田らしい」

本当に、中田宏樹八段らしい。前キャプテンだった。

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「ベンチの上段に陣取って黄色い声援を贈っていたのが、秋に婚約を発表した藤井六段の婚約者の土屋さん。土屋さんは藤井と同じユニフォームを着てお友達同伴での応援」

同じユニフォームというのが感動的だ。

婚約者冥利に尽きることだと思う。

藤井猛六段(当時)の婚約会見時の写真。将棋マガジン1995年11月号より。

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「この日の約1週間前の土曜日に、中川は囲碁棋士である宮崎志摩子三段を伴って、師匠の米長九段の自宅に赴き婚約を報告したばかりだった」

「野球の試合の方になると、途端顔が渋くなる」

仲間との親善試合の2連敗でも顔が渋くなるのが、勝負師の勝負師たるところ。

私ならば、どんなに負けても、婚約発表をしたばかりだからずっとニヤニヤしていると思う。

中川大輔六段(当時)「やさしいところ」

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「打った奨励会員の飯島は、ベンチで泣き崩れていた。その背にイチョウの葉がヒラヒラ…」

この頃、飯島篤也初段(20歳)と飯島栄治初段(16歳)がおり、年齢的に見れば飯島篤也初段である可能性が高いと考えられる。

親善試合での悔し涙。どのような勝負でも負けるのを嫌うのが、棋士、奨励会員の本能と言えるだろう。