将棋の神様

近代将棋1991年1月号、「新春特集 羊年集合!」の、阿部隆五段(当時)「一夜の夢」より。

 昨年の夏が終わったのは6月5日だった。第31期王位戦対福崎文吾八段戦に投了した瞬間僕の夏が終わったと思った。

 この一番、勝った方が挑戦者決定戦に進めるという大きな一番だった。僕はこの一番に賭けていた。棋士になってこんなに勝ちたい気持ちが出た将棋はなかった。

 そしてその勝負に負けた。親しい仲間と福崎先生が一晩中なぐさめてくれたが、それでも気が収まらず麻雀を打った。

 そして疲れ果てて家に帰ったのが午後10時頃だった。親にはなにも言わずふとんに入って泥のように眠った。

 その時変な少年が出てきて僕をずっと見つめているのである。(きっとこれは夢だなあ。それにしても妙なやっちゃ)そう思いながらも少年に話しかけてみた。

 「君は誰?」

 少年は微笑を浮かべながら

 「今日は残念だったねえ」

 と言う。

 僕は何かバカにされている気分になったが、一応「でかい勝負を負けたよ」と答えた。

 すると少年は「今日の負けはそれほど大きくないよ。君は昨日よりも確実に強くなったもの」

 「ありがとう。でもね勝ちたかったんだ」

 「昨日負けたけど明日は勝てるよ。そらぁ苦しいこともあるさ人間なんだからね。情熱さえうしなわなければ明日は勝てるよ」

 ここまで言って少年は去った。そして僕は目ざめた。今思うとあの少年は神様だったのではと思う。あれ以来あの少年には出会ってないが、今度会う時はきっと笑顔で会えるような気がしている。

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昨日の王位戦挑戦者決定リーグ戦最終戦の結果、紅組が行方尚史八段、白組が佐藤康光九段が1位となり、両者による挑戦者決定戦は5月29日に行われることとなった。

そういう意味で言うと、13年前の王位戦は、現在よりも20日以上遅いスケジュールで進行していたことになる。

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夢に出てきた少年、座敷童子のような雰囲気だが、座敷童子が会話をしたという例はあまり聞かない。たしかに、神様のような会話だ。

将棋の神様、絶対にいても良いと思う。

阿部隆五段(当時)が見た夢、これ以上素敵な夢があるだろうか。