近代将棋1994年1月号、「戌年の将棋まつり」より。藤井猛四段(当時)の「ヒットが出た ―私の野球」。
私はスポーツはあまり得意な方ではないが一年半前に将棋連盟野球部「キングス」に入部して野球を始めました。
それまでは野球は見るのが専門で子供の頃もあまりやったことがなかったのです。
そんなわけで入部したての時は、キャッチボールがかろうじて出来る程度。
それでも試合と猛練習?を積み重ねた結果、今ではキングスの篠塚と言われる程の名セカンドに成長した。
まあ守備の方は良いとして問題なのはバッティングである。
入部して一年目のシーズンは後半からの出場で試合数が少ないとはいえ、成績は安打数0、打率0.00である。せめて1本ぐらい打ててもよさそうなものだが、仲々難しいものだ。
これでは自分でも情けないので、昨シーズン4月の開幕前バットを購入し、毎晩寝る前の素振りと、近所のバッティングセンターでの打ち込みを少しやった。
その甲斐あって開幕から7打席目についに初ヒットが出た。
ピッチャーの投げた甘いカーブをジャストミート。その打球はライトの左を抜けて外野を転々、夢中で走っていた私はいつの間にかベースを一周してホームイン。
なんと初ヒットがランニングホームランという快挙であった。
これで自信をつけた私はその後、たまにはヒットが出るようになり、結局昨シーズンの成績は30打数5安打、打率0.167という結果だった。
野球も勝負であるがやはり勝っても負けても楽しくやればいいと思う。
しかし、本職の将棋ではそういうわけにはいかない。
私も棋士になって3年、今年はとにかく勝って勝って勝ちまくりたい心境である。
将棋は一生懸命に、野球は楽しくやっていこうと思います。
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打率はともかくとして、藤井猛四段(当時)が野球を始めていなければ、今の奥様とは知り合うことがなかったとも言える。
藤井猛九段が奥様と知り合ったのは、真田圭一五段(当時)が慶応大学の囲碁部の女性たちをキングスの合宿に招待したのがきっかけ。
その後の交際を経て、1995年9月に婚約発表となった。
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人と人との出会い、人の縁には人知を超えたものがある。
藤井猛四段(当時)がスポーツが得意ではなかったにもかかわらず、一歩踏み込んで野球部に入部したことが、奥様と知り合うことにつながっている。
故・寺山修司さん流に言えば、『書を捨てよ、町へ出よう』 ということだろうか。
寺山流で現代なら、「ネットを捨てよ、町へ出よう」。
普通に言えば、「書も捨てなくて、ネットも捨てなくていいから、町へも出よう」という雰囲気か。
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現代はtwitterやSNSなどがあるので、従来であれば知り合うチャンスのなかった人と知り合えるという機会が飛躍的に増えている。
歴史的に非常に画期的なことだと思う。
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自分が小さい頃からこのようなネット時代だったらどうなっていただろう、と考えることがある。
しかし、それ以前に、ドラゴンクエストシリーズなどのゲームにハマって、勉強なんか全然しなくなっていただろうなと思い、結構ゾッとする。
ネット対局があればあったで、やはり勉強そっちのけになっていただろうが、将棋は間違いなく今よりも強くなれていたと思う。
しかし、もろもろ総合的に考えると、私のようなユルい人間は、ネットがなかった頃の時代に生まれてきて良かったのかもしれない・・・