豊川孝弘四段(当時)「人に情に燃えました」

近代将棋1991年12月号、「若手棋士インタビュー 豊川孝弘四段の巻 人に情に燃えました」より。

 今年24歳の豊川は年齢制限の26歳まであと1年半と迫っていたが、三段リーグでの成績は4勝4敗のスタート。(ああ、今期も駄目か・・・)と辛い思いでいた。

 豊川は昭和57年12月奨励会の試験に補欠合格した。同期は羽生、佐藤、郷田、森内、など俊英揃い。

 6級からスタート、16勝9敗。

 5級は9勝1敗、4級は6勝0敗とノンストップ。

 3級では42勝41敗とやや停滞。

 2級は6勝4敗、1級は12勝4敗。

 初段も12勝4敗と順調なペース。

 ところが、二段でガクンと止まった。たぶん、90何勝90敗くらい。勝ち越しはしていた。

 二段在位、4年。

 年齢にして18歳から22歳の時だった。

 辛かった。二段になった直後に一回昇級の目があったが、以後は音ナシ。同期の羽生らはどんどん四段になっていた。

 20歳の時、アパートで自活を始めた。

 収入は稽古、塾生、次の一手づくりなど。それ以前も連盟に年間300日は泊まっている生活で、ほとんど自力で生きていた。

 アパートへ移るため、借金をしどうやって返そうかと思っていた時、交通事故に遭う。幸か不幸かという言葉があるが、この場合は「幸」だった。

 豊川の乗っていた自転車が、前方に停車していた宅配便の車が不用意に開けたドアに激突、転倒したのだ。大したことはないと思ったが、後から来たタクシーも接触したため、事故として調べを受け、その結果豊川に医療費として十数万おりた。これで、アパート移転の借金が払えた。おかげで冬は少々傷がうずいた。

 奨励会の仲間で、対局終了後、記録用紙を階下へコピーに行ったまま、感想戦を聞きにこない奴がいた。

 (妙な奴だな。せっかくの感想戦を聞かないなんて・・・)

 このことが理解できないでいた。

 二段を長くやっているうちに、年下の四段が誕生し始めた。

 豊川も年下の棋士の感想戦を聞く気になれない時があった。

 (これだったのか・・・)

 その人の立場に立たないとわからないことって、あるものだ。

 三段。一期目、14勝4敗で同星次点。二期目、10勝8敗。三期目、11勝7敗。そして四期目の今期は、スタートでいきなり4勝4敗と絶望的な星だ。今までの昇級ラインが、3~5敗まで。

 今期の豊川が昇級する条件は、混戦模様となって昇級ラインが下がって5敗になること。しかも自分がこのあと、9勝1敗のハイペースで勝ち続けることだ。4敗ラインで残り全勝は不可能に近い。

 豊川は次の例会では2連勝し、6勝4敗と成績を少し上げた。ちなみにこの時の将棋新聞の記事はこう報じている。

 〔深浦独創態勢・トップの深浦は9勝1敗で独走態勢。これを追うのは真田、近藤、飯塚、中座、石掘、金沢の6人で7勝3敗。この一位二位集団の後でまだ希望を捨てていないであろう4人の名を挙げておく。豊川・北島・荒井・秋山だ〕

 まだ希望を捨てていない男と書かれた豊川は次の大阪での対局に賭けた。気合は入りすぎるくらい入っていた。

 第1局目の相手は27歳のMさん。今日まで3勝7敗の成績。負けるわけがないと思って臨んだが結果は負け。ガクンときそうになるのをこらえ次の対局へ。相手は16歳のTくん。

 (三段リーグのころは年下にだけは負けられない。年下に負けたら勝つ場所がない)

 これが豊川の哲学だ。

 Tクンには勝った。しかし通算7勝5敗と成績は、どうひいき目に見ても昇級には遠すぎる数字だ。トップの深浦は快調に走って11勝1敗。ますます昇級ラインを引き上げてくれる。

 この夜、大阪の神吉五段にごちそうしてもらい、帰りは名古屋の中山則男四段(前期退会し準棋士)宅に泊めてもらった。翌日東京行きの列車に乗る時、中山四段の友人が弁当を買って豊川に持たせてくれた。

 この大阪行きは成績こそ1勝1敗だったが、人の情が嬉しく感じ、帰京してからもずっと豊川の胸を温めてくれた。

 (ヨーシ。とにかく最後までやてみろ)

 何かしら元気がもりもり湧いてきた。

 次の例会は充実した気持ちで対局でき、結果も2連勝と上々だ。それにひきかえ昇級確実と見られていた深浦は2連敗。次の例会でも豊川は2連勝なのに、深浦は1勝1敗で、ついに星ひとつの差になった。残り2局の最終戦にすべてがかかることになった。

 最終日の第1局に深浦が負けた。ついに兎が亀に追いつかれたのだ。豊川は1局目勝ち。2局目も必勝態勢。ふつうに追っていけば簡単な勝ちだ。しかし豊川は血走った目で何回も何回も盤面を隅から隅まで見直していた。

 勝った。カメラマンが一斉にシャッターを切っている。しかしあれほど望んだ四段の嬉しさが、ちっとも湧いてこない。事務所で手続きをしてもまだピンとこない。

 翌朝も、数日経っても、踊り出すような嬉しさはなかった。むしろ、これからが勝負だという思いが湧く。

 豊川は四段になった翌日も、バイト先の運送屋へ行って働いた。兄の紹介で6月から通っていて、9月いっぱいの約束だったので、続けた。

 将棋の稽古は半日で3、4万もらえ、飲食も付き先生といわれる。運送屋の仕事は1日1万で何も付かず、オイと呼ばれることもある。稽古はありがたい仕事で運送屋は楽ではない。しかし本業じゃないせいか、精神的には解放されてやって良かったと思っている。

 たまに配達先で出してくれるヤクルトの一本がたまらなくうまい。四段になると配達の仕事は出来なくなるが、あの味は一生忘れないだろう。

   

 豊川クンは身長179センチ、73キロの立派な体のスポーツマン。サイクリングで2、300キロを走る。最近の将棋指しは体も鍛えている人が多いようだ。

 素直で純なところがある青年だ。照れ屋な面もあって、

 「いやあ、駄目ッスよ」などという。

 四段になった実感て、すぐには湧かないものらしいね。

 「僕の場合は思ったよりもなかったです。一番実感湧いたのは、郵便受けに将棋雑誌がどんどん送られてくるようになってから。あれは嬉しいもんスね」

 奨励会時代、力はあるっていう噂を聞いていたけど、実力派からすると年下の天才少年みたいな人はどう思う。

 「実力派なんて誰がいったんスか。でもそういう噂はありがたいんです。少しでも強いとかやりにくいって思ってくれたほうが・・・。反対に相手を強いと思っちゃうと、相手の読みを信じちゃう。これは勝てないでしょうね。僕は相手の読みを信じません」

 どう、信じるのかな。

 「たとえば、あの◯◯クンがやってきた手だから間違いはないだろう、というので読みを怠ることです。相手が誰だろうと自分は自分なりに読むことが基本です」

 お酒や麻雀はやるの。

 「飲みますけど、あまり意味なくダラダラ飲みたくないですね。時間と金がかかるわけですから。内容のある時間を過ごしたいというか。ギャンブルもやりません。エヘヘ、ちょっと生意気ですね」

 いやいや、立派な心構え。若い若いといっているうちに、すぐに中年となり老年になるのが人生です。無駄な時間は一分たりとも過ごさないという心構えこそ、何十年経つと大きな蓄積になるでしょう。実行するかどうかは別として、心構えがあるだけでも大したもの。

 これからの目標は?

 「どんどん上がって、お金も稼ぎたいですね。だいぶ先行されていますけど、頑張って行きたいスね」

 豊川クンは高一の時入会したと聞くけど、遅い方だろうけど、少しづつ進んでいけば必ず追いつく。先に行っても休んでいる人もいるから大丈夫。いつまでも新鮮な気持ちを失わず進んでいけば、モノになる。

 「ハイ。これからは少し本も読みたいス。なにしろ今まで将棋以外やってないもんですから・・・」

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医療費の使い道、終わった対局の棋譜のコピーをしにいったまま感想戦を聞きに戻ってこない奨励会員の話、大阪でごちそうしてくれた神吉宏充五段(当時)、名古屋での中山則男四段とその友人、ヤクルトの話など、涙ぐんでしまうような温かみのある話が続く。

「上がれて本当に良かったね!」と声をかけたくなるような豊川孝弘四段(当時)だ。

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1991年9月5日、第9回三段リーグ最終日、四段昇段を決めた直後の豊川孝弘三段(当時)と深浦康市三段(当時)。将棋マガジン1991年11月号より、撮影は弦巻勝さん。

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