棋士たちのナイトクラブ

将棋世界1992年1月号、神吉宏充五段(当時)の第4期竜王戦第1局〔谷川浩司竜王-森下卓六段〕の「竜王戦タイ随行記」より。

 10月21日、つまりバンコクへ着いた最初の夜は、盛大な前夜祭。バンコクの都知事も出席されて、400人も集まった素晴らしいパーティーになった。改めて感じさせられたのが、日本人の海外進出パワー。このバンコクにも3万人の日本人がいると聞く。皆さん外国で頑張っておられるのだ。

 パーティーが終わってからは、現地の日本人会の皆さんの誘いで、ナイトスポットへ案内してもらう。谷川、森下、中原、田丸、佐藤(秀)、私の面々は美しき女性達のいるナイトクラブへ。絶好調だったのが佐藤秀司四段。彼も外国は初めてで、最初は戸惑いがあったはずだが、もうすっかり慣れたようで「オーケー、オーケー、外泊オーケー」などと、わけのわからない英語を使いながら女性と話をしている。いや、一方的に迫っている。(身ぶり手ぶりも超スゴイ)

 佐藤の師匠の中原名人は「ん、弟子の意外な一面を見たね、驚いたよ」と言いながら、隣の女性に中原スマイル。谷川、田丸は結構自然に話しているように見える。あとで谷川に聞くと「少し英語が喋れるみたいで、何となくわかる部分もあった」と言っていた。

 私は必死でタイ語の勉強。少しでも喋れるようになって、タイ語でジョークを言いたいからだ。意外だったのは森下六段。目を輝かせて「ビューティフル、ビューティフル」と言うのかと思いきや、「眠いです」と言ったきり、綺麗な女性に脇目もふらず眠っている。それを見た中原名人は「ん、森下先生のところの女性が一番綺麗なのに、なんで寝るんだろうね」と羨ましそうに言う。

 その後、小1時間ほどで、中原立会人の両対局者に対する配慮もあってホテルに引き揚げた。

(中略)

 10月23日、この日も対局の前日ながら、市内観光が組まれていた。しかし、交通渋滞の疲れで博物館、寺院巡りは中止。ショッピングとあいなった。これが私と佐藤君を恐怖のどん底に陥れようとは・・・その時は知る由もなかった。

 その店は1階が貴金属、2階がタイシルクを販売していて、どれもこれもまあ何と綺麗で安そうに見える。フラフラ、フラフラとカウンターに目をやると、疾風のごとく店員が現れて(これがまた美しき女性、スワ~イ!)哀願するような目で「シャチョウさん、カッテクダサイ。アナタだけ特別サービスね」などと謡う。こ、これはワナだ!と思いつつも、気がつくと右手は胸ポケットのサイフをつかんでいる。や、やめるんだ!と脳に命令を出しても、いつの間にか店員に金を渡している。

 1軒目の店が終わった。16万円も放出した。放心状態でバスに乗り込んだが、もう一人、黒目が点の奴がいた。佐藤君である。彼は私以上に使っていた・・・。さあ、ここからが二人の買い物合戦の始まり!あちらが買った以上にこちらが買わなければいけない雰囲気がいつの間にか出来上がった。いや、誰かがそう操作したのである。その人の名は谷川竜王。彼は「さっき佐藤君が革ジャン買ってましたよ」とか「神吉さんはデカイ鞄を買った」とか情報を二人にドンドン提供してくる。「もうお金がないから」と言うと「わかりました。貸しましょう」

 とまあ、涙の買物合戦はここまでにしておいて、タイの料理について一言。これは食べた人はわかるだろうが、何といってもタイ料理はすっぱくてカライ!

 そして強烈で独特な香り。これに森下六段はやられた。あまりの凄さに「水が一番安心できます」と言わしめた。

(以下略)

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タイの女性は、日本の女性と顔立ちが似ており、更にそこにエキゾチック度が20%ほど加わるので、日本人男性の心を虜にしてしまうことも多いという。

昭和の末期の話になるが、上野にあったタイパブ(タイ人女性が席につくキャバクラのようなところ)に付き合いで行ったことがある。

たしかに、日本人男性好みの雰囲気の女性が多いと感じた。

しかし、私は外国人美女よりも日本の普通の女性の方が好みであり、特に心を動かされることはなかった。

「サワディーカップ(=こんにちは)」という言葉を覚えた。

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ちなみに、統計的に、日本人男性が夢中になってしまうケースが最も多いのがフィリピン人女性で、こちらはエキゾチック度120%。

昭和の末期のこと。

関東地方の、ある県庁所在地で顧客を接待することになった。

2次会は、その顧客がたまに行くというフィリピンパブ(フィリピン人女性が席につくキャバクラのようなところ)。

「この店は◯◯大学女医殺人事件の犯人が通っていた店なんですよ」と顧客が言う。

◯◯大学女医殺人事件は、ニュースやワイドショーでよく取り上げられていた事件で、犯人がフィリピン人女性に入れ込んで、女医であった妻を殺してしまったという事件。

叔母が、私がその犯人に顔がよく似ていると何度も言っていたことを思い出した。ニュースの犯人の写真を見て、叔母は私が犯人だと思って大ショックを受けたらしい。

それはともかく、たしかにエキゾチックな美女ばかりで、はまってしまう人も多いだろうなと実感した。

しかし、私は外国人美女よりも日本の普通の女性の方が好みであり、特に心を動かされることはなかった。

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平成元年、香港に出張して、空港で帰りの便を待っていた時のこと。

時間がかなりあるので、空港内の売店をブラブラと見て回った。

あるショーケースの前で、店の女性が私に向かって笑みを投げかけてきた。

非常に愛くるしい雰囲気の正統派アイドル系の広東美女。

ほとんど日本人の顔立ち。

ショーケースの中にはアクセサリー的なものが多く並べられていたと思う。

その中に、表に「福」、裏に「寿」とある金色の小さな小物があった。値札には50と印字されている。

当時の香港ドルのレートで計算すると850円位。縁起が良さそうなので会社の人ヘのお土産で5個ほど買おうと思った。

「これを見せてもらえますか?」

ドキドキしていたので、英語で話したのか日本語で話したのかさえ覚えていない。

その彼女の笑顔は更に素敵なものとなり、私は心の中で「なんと綺麗な女性なのだろう」と驚くばかり。

しかし、値札を見ても驚くことになり、50が香港ドルではなく米ドルだったこと。

当時のUSドルレートで換算すると7000円以上。

買うのをやめようかと一瞬思ったが、彼女の顔を見ると、そうもいかない気持ちになった。

「これをください」

欲しくはなかったけれども、自分用に1個だけ買うことにした。

会社へのお土産には現地のお菓子を既に買っており、更にお土産を追加する必要は全くなかったので、そもそも「会社の人ヘのお土産で5個ほど買おう」と思ったこと自体が変調だ。

空港の広東美女の魅力に寄せ切られた形だ。

今でもその時に買った小物は家にある。