1日違いだが、10年前の今日にあたる土曜日(2003年10月25日)、原田泰夫九段の盤寿を祝う「原田泰夫八十一歳祝賀会」がホテルニューオータニで盛大に行われた。
将棋ペンクラブ幹事全員にも案内状をいただいている。
12時開宴。
早朝まで新宿で飲んでいた私は、極度の二日酔いに苦しめられながら、会場に着いたのは13:15頃。
開宴時刻に間に合わなければと思っていたものの、それがとても困難なほどの二日酔いだった。
受付で会費を払い記帳していると、今朝方まで一緒に飲んでいた将棋関係者が受付に到着。
とても奇遇だとは思ったが、苦しくて苦しくて、驚きも半減してしまったほどだ。
会場に入ると、まさに盛大なパーティー。後で聞いたら500名以上の来場者だったという。
関西も含め棋士はほとんど全員が参加しており、絶景そのものだった。
いわゆる、一坪あたりの棋力がもの凄く高い状態。
私も二日酔いとはいえ、水割りは飲める。知っている人に挨拶をしたり、会場をブラブラしていたりした。
原田九段の前には、お祝いの挨拶をする人たちが何十人も並んでいる。
とても暖かい雰囲気のパーティー。
会も終わりに近づき、原田九段の謝辞が始まる。
その時、私はたまたま最前列近くにいて、ふと横を見ると、そこには羽生名人・竜王(当時)ご夫妻が。
「君の顔は羽生に似ている」と、私はこの6年前に、漫画家のつのだじろうさんに言われたことがある。
奥様の理恵さんが私を見たら、「あっ、この人は夫に似ている」と驚いてくれるだろうか、などと二日酔いの頭で変なことを考えていた。
しかし、理恵さんが誰かから声をかけられ後ろを振り向こうとした時に一瞬私の方を見る形になったのだが、理恵さんは「ハッ」と驚く様子もなく、そのまま順当に後ろを振り向いてしまった・・・
原田九段の挨拶が終わり、お孫さんから原田ご夫妻に花束が手渡され、会場は大きな拍手に包まれた。
原田九段の弟子である15歳の鈴木環那女流2級(当時)もこの時に壇上で紹介された。
10月の土曜日の午後の、暖かく盛大なパーティー、二日酔いということもあったが、そこは本当に夢のような空間に感じられた。
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この日、私の知り合いの人たちは、寄席に行ったり別の用事があったりと、閉会後、他所にすぐ行かなければならなかったので、このあと飲みに行くことはできなかった。
一人になった私は、これからどうしようと思いながらニューオータニを出て、そういえば今日は何も食べていないことに気がつき、ニューオータニから歩いて10分の、麹町のインド料理店「アジャンタ」に行くことにした。
アジャンタは、私の学生時代は九段下にあったのだが、その後、日本テレビ(当時)の隣に店を移した。
今週の火曜日の記事で、私が退院した直後に向かったのが「アジャンタ」であったことを書いたが、こうやってみると、私は昼間に一人になると、「アジャンタ」へ行ってしまう傾向があるようだ。
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原田泰夫九段の盤寿の会の会場には、原田九段の書が何点も掲げられていた。
また、来場者には記念品が渡された。
その中には、この日に合わせて作られた54ページの冊子「盤寿」が入っていた。
原田九段の書の数々、写真、随筆などが載っている。
書作品
一堂観
寿
花無心
騰々任天真
良寛 悠々自適の詩
心如鐵石
龍
學乃少而可勉
高潔
熟達益厚 精巧極源
海
學如不及
飛
行不理口徑
歩
心清意自閑
三徳
道在爾
有志者事意成
山雲海月情
日本海
懐古欽英風
東照公遺訓
花着半開 酒飲微酔
盤・寿
紅葉満山川
随筆
みたま祭
イゴールさんとバラの学校
こども教室
原田泰夫略歴
旅の思い出から(写真)
1990年 パリ サクレクール寺院
1990年 ドイツ ハイデルベルグ
1994年 ローマ トレビの泉
1995年 北京 天壇公園
1996年 ワシントン 国会議事堂前
1997年 オーストラリア カンガルー島
2002年 天童将棋祭り 観戦ツアーの仲間と共に