将棋世界1991年8月号、大野八一雄五段(当時)の「公式棋戦の動き」より。
天王戦
七段戦の代表1人は島七段に決まり。もう一つの山は中村、羽生の間で6月7日に行われた。
ちなみに観戦記担当は先崎学五段、さぞかしおもしろい物を書いてくれるに違いない。
さて、中村と言えば不思議流、受ける青春等の変わった言い方をされているが、将棋界においては超優等生タイプの人間である。
彼の後輩からの慕われ方は凄い。なんせ一時期は、お金がなかったら◯◯◯の◯◯◯◯へTELを入れれば食事の心配をする必要がないという合言葉があったぐらいである。
また、彼の部屋にはよく金のない後輩が集い、麻雀を打ってはおこづかいを手にして帰るというのが日常茶飯事であった。
彼は酒が好きで強い。しかし、飲み過ぎるが為に帰る頃は何も記憶をしていない。
だが、勘定だけは常にしてあるところが偉い。
そんな彼だから対局の時は応援団?が必ず集まる(後のごちそうが目当て)。
だが、今回の相手は棋界のスーパースター羽生善治(彼も若いのに勘定奉行になりつつある)。容易な事では倒せる相手ではない。
(以下略)
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中村修七段(当時)の素晴らしい先輩像。
(土曜日の午後4時頃。電話での会話)
後輩棋士「中村さん、この間はどうもありがとうございました。いま何やってるんですか?」
中村七段「棋譜を並べているところなんだよ」
後輩棋士「これから遊びに行っていいですか」
中村七段「あ、いいよ。そうだ、メシでも食いに行こうか」
後輩棋士「はい!」
のような展開だったのだろう。
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1990年の函館のスナックでの「点のある・ない論争」の時も、中村修七段が全て勘定を持ったものと考えられる。
もっとも、この時の状況では、「羽生時代もこれで終わった」と言った中村修七段が先崎学四段(当時)と郷田真隆四段(当時)の分も支払うというのが格好いい流れだ。
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それにしても、対局の時に応援団が集まるのはすごいことだ。
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応援団。
今考えると、私が通った高校(1学年135人の小さな高校だった)、大学(理科系の大学だった)には応援団がなかったと思う。
そういえば高校にも大学にもプールがなかった。
泳げない私には幸運だった。
プールがない学校には応援団がない、という仮説が成り立つのかどうか、時間があるときに調べてみたいと思う。