外柔内剛・加藤一二三九段

将棋世界1981年2月号、清水孝晏さんの「噂のキャスター」より。

 九段加藤一二三。昭和15年1月生まれだからちょうど40歳だ。しかし、歳を思わせぬ若々さがあり、人なつこそうな童顔、やわらかな応対に接した人はいっぺんに魅了されて加藤ファンになる。それほど人をそらさぬ温かさを感じさせる加藤だが、こと将棋となると別人のように神経質な面をのぞかせる。

 例えば、海辺の宿は波がうるさい。また街中のホテルは自動車の音が聞こえないところでとか……。カメラマンが両対局者の散歩姿と注文しても「自然でないから」とニベもない答え。加藤にしてみれば、勝負を争っているのに二人並んでニッコリなんぞできるかというのであろう。

 第29期王将戦。挑戦者大山が3勝1敗で、加藤はあとのないカド番。もし第5局に敗れれば、せっかく中原から奪取したタイトルも1期で失うことになる。その注目の第5局は2月28、29日、天童市で行われた。が、対局にさきだって使用する盤駒のことで両者がエキサイトした。

 天童は”将棋駒のふるさと”として知られているが、最近は将棋盤も製作するようになったのでタイトル戦に使用をと、地元は望んだのであるが、加藤は「いつも見なれている東京(連盟)から持ってきたものを使ってほしい」といい、大山は「地元の顔を立てなさい。東京から盤駒を持ってくるなどは……」とゆずらない。東京の盤駒は、いつもの加藤さんの注文が出ることを予想して設営側が気をきかして持ってきたのだったが、はからずもエキサイトの因となって係はハラハラするばかり。

 結局、立会人の加藤治郎名誉九段が「一日目は地元の盤駒で、二日目は加藤さん好みに……」と決めて一件落着した。

 それだけに加藤の気合いはすさまじく、大山の振り飛車にいま流行の居飛車穴熊を採用、二日目に昼食をはさんで2時間36分(昼食休みの1時間を入れると3時間36分)の大長考の末、△2六銀の強手を放ち、94手で快勝した。

 加藤のアダ名はベア。それは対局室をノッシノッシと歩き回ったり、首を振ったり、手をぐるぐる回したり、クォーン、クォーンと空咳したり、両腕を胸の高さに組んでホオをプウーッとふくらます仕草からきているのだ。本人は背広で長時間座りつづけて疲れるからであろうが、相手にとっては盤外作戦と映るのかもしれない。ともあれ、なんでも常識化した世の中に男がはげしく燃える世界が、ここにある。

——————

「噂のキャスター」は、清水孝晏さんが小説現代に連載していたコラムの中からピックアップされたもの。

そういう意味では、将棋のことに詳しくない読者向けに、この当時の加藤一二三九段を紹介した記事だと言えるだろう。

——————

ひふみんアイ、長いネクタイ、毎回同じメニューを注文する、などは書かれていない。

将棋を知らない読者が読んで、加藤一二三九段の勝負に燃える姿を頭の中でイメージしやすいように、それらのことは省かれていたのかもしれない。

この時代、なぜネクタイが長いのか、毎回同じメニューを注文するのかは、誰もこの件で理由を聞いていなかったということもあるが、謎のままだった。

——————

「なんでも常識化した世の中に男がはげしく燃える世界が、ここにある」

これは、現在においても当てはまる名言だと思う。