谷川浩司竜王(当時)の披露宴と羽生善治二冠(当時)

将棋世界1992年12月号、巻頭グラビア「谷川、華燭の典」より。

 谷川浩司竜王と江尻恵子さんの結婚式が、兵庫県知事・貝原俊民氏夫妻媒酌のもと、10月3日神戸市ポートピアホテルで行われた。披露宴には将棋界をはじめ各界から約300人が出席、二人の門出を祝福した。

 貝原知事の二人の紹介に続き、笹山神戸市長、加藤名古屋銀行頭取、荒川神戸新聞社社長、二上日本将棋連盟会長、米長九段、内藤九段らが次々と祝辞を述べた。

 「こんなきれいな花嫁を見ては、若手棋士は鼻血ブーで、ますます闘志を燃やすのでは」と二上会長。「これまでの勝負師人生を振り返ると、好不調はカミさんの機嫌と一致する。そこで恵子さんに一言。男のミスはミセスから生じる」と大爆笑を誘ったのは米長九段。「これからは勝利の喜びは二倍、負けた時の悲しみは分けあってほしい」と内藤九段(二次会では、「おゆき」をはじめ3曲を大サービス)。

 諸先輩の優しく、ウィットに富む祝辞を受け、謝辞に立った谷川竜王は「今までは将棋だけの人生でしたが、これからは二人で新しい人生を築いていきます。勝負師の妻になったのだから、浮き沈みの覚悟はある程度出来ていると思います。目先の勝負にこだわらずに早く自分のペースを作って一歩一歩前進したい」と語った。

 恵子ちゃん、浩司さんと家で呼びあうと、顔を真っ赤にして告白した二人に、この先数多くの幸があらんことを―。

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将棋世界の同じ号、神吉宏充五段(当時)の「対局室25時 大阪」より。

 めでたい話題を一つ。もちろんこれこれ、10月3日の谷川竜王の結婚式である。

 この日はテレビの出演が終わって、神戸にトンボ帰りしたけれど、披露宴には間に合わなかった。しかし聞いたところによると、出席者300人を数える華やかな式であったらしい。

 私が出席したのは二次会から。とはいっても、ほとんど披露宴の続きのような豪華なもの。私と林葉女史が司会進行を務めさせていただいて、1分間スピーチなるものを出席者にドンドンしゃべってもらった。その中で意表を突かれたのは、南九段のスピーチである。いつもは寡黙で、笑っているだけで言葉が見えてくる不思議な男なのに、この時だけは如才なく、キッチリ1分間しゃべってスタスタと壇上から降りていった。思わぬ出来事に、林葉と私が寡黙地蔵に変わっていた。

 ところでこの日のモテモテは、谷川竜王ならぬ羽生二冠王。なんと新婦側の江尻家の親族に囲まれて記念写真を撮ったり、サインをねだられたり。トドメは今度の竜王戦で対戦するとあってか、親戚一同に「よろしくお願いします」と一言。

 ???まったく、どういう意味やろ。

(以下略)

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二上達也九段日本将棋連盟会長(当時)が”鼻血ブー”という言葉を使ったとは非常に意外で面白い。

とても綺麗な新婦を見て、鼻血ブーになって闘志が燃えるかどうかは別として、「棋士の結婚披露宴でのスピーチ集」というものがあったら面白いと思う。

有名なところでは、森信雄六段(当時)の披露宴での村山聖七段(当時)の、「僕は森先生が結婚することを、新聞を見て初めて知ったんです。弟子に言わない師匠がありますかねェ」、などがある。

スピーチではないけれども、木村一基六段(当時)の披露宴で三浦弘行八段(当時)がずっと詰将棋を解いていたことも見逃せない。

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新婦側親族へ「よろしくお願いします」とあいさつすることになった羽生善治二冠(当時)。

羽生二冠は、この2週間後から始まった竜王戦で谷川浩司竜王(当時)に挑戦し、4勝3敗で勝って竜王位を奪還している。

神吉流に解釈すると、「新郎からタイトルを取ってしまうかもしれませんが、その時もよろしくお願いします」という結果となってしまったのだった。