井上慶太八段(当時)のゴッドハンド

近代将棋2004年10月号、遊駒スカ太郎さんの「スカタロの関東オモシロ日記」より。

 とまあ、そんなわけで、ウキウキしながら東西合同ゴルフコンペの朝を迎えた5月27日、場所はGMG八王子ゴルフ場である。

 二上達也九段、桐山清澄九段、佐藤義則八段、若松政和七段、滝誠一郎七段、小阪昇七段、酒井順吉六段、といった重鎮方をはじめ、小林健二九段、井上慶太八段、飯野健二七段、泉正樹七段といった中堅勢、そして佐藤康光棋聖、久保利明八段、佐藤秀司六段、高野秀行五段、矢倉規広五段、小林裕士五段というグルフ好きな東西の棋士がてんこ盛りの中、そのコンペは行われたのだった。

 オイラはハンディキャップ45を貰ってスタート。しめしめ。まだだれにもオイラの上達ぶりはバレていないようである。タイガーにハンデ60を振ってもらえば勝負になるオイラに、ハンデを45もくれちゃっていいのかね、クスクス・・・。

 しかし他を見ると、にゃんと小林裕士五段にはハンデ68が付いているのであった。

 「こんなにハンデつけて大丈夫?」と自分のことは棚に上げて、聞いてみたところ、「大丈夫です。彼が優勝することは絶対にありませんから」と太鼓判を押したのが矢倉規広五段である。

 「彼が160を切ることは絶対にありませんから大丈夫です」

 「あっそ、ま、それならいいかー」と我々は納得し、東コースからスタートを切ったのだった。

 前半の9ホールは、オイラにとっては完璧であった。58だったので、まあ将棋の腕前に例えれば10級くらいの感じだと思うのだけれど、燦然と輝くハンデ45が味方についているので前半は13で回ったのに等しい。後半のラウンドも同じようなスコアで回ってくれば、ネット(本来のスコアからハンデを引いたもの)で70そこそこになる。優勝も夢じゃない感じである。

 憎きライバル・高野五段のスコアはというと前半は50ちょうどであった。後半次第ではグロス(ハンデを引いていない純粋なスコア)で打倒高野五段を実現してしまいかねない。もうこうなったら行け行けドンドンという態勢だったはずなのだが、後半のオイラはというとサイテーの70台を打ち馬群に沈んでしまった。

 戻ってきてみると、酒井順吉六段が69(グロス86)、小林健二九段が70(グロス84)という好スコア。この二人が優勝と準優勝であろう、と誰もが思っていたところに大外から突っ込んできたのが最終組で回ったダークホース・小林裕士五段である。

 小林裕士五段は、最初は矢倉五段の話していた通りに160を超えるような実力通りのゴルフを展開していたらしい。しかし、一緒に回っていた井上慶太八段がそれを見かねてクラブの握り方を指導し、そこからドトウのゴルフを展開してしまったというのである。結局、小林裕士五段が68(グロス136)で優勝。後日、優勝した小林裕士五段と一緒に回った井上慶太八段、佐藤康光棋聖、久保利明八段には、小林裕士五段から贈り物が届いたそうである。

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ゴルフはスコアが72でハンデ0。

私が初めてゴルフをやった時のスコアは228だった。

数年間、付き合い程度でやっていたのだが、最も良いスコアでも170を切ったかどうかというレベル。

将棋で言えばアマ50級にしてもらえるかどうかという感じだ。

そういう私なので、160を切ったことがなかった小林裕士五段(当時)が、ラウンド中に井上慶太八段(当時)からクラブの握り方を指導されただけで136を出したということが、奇跡に近い大快挙に感じられる。

ゴルフほど教える人によって言うことが違う競技もなかなかないが、そのような中で、非常に短時間のうちに絶妙な手ほどきをした井上慶太八段は、ほとんど神の領域に近いとさえ思える。

小林裕士七段は長身で非常に迫力のある体型。

本気でドライバーを打ったら、往年のジャンボ尾崎並みの飛距離も出そうな雰囲気だ。

しかし、何よりも、スコアが悪くても、ゴルフが好きだということが、小林裕士五段のスコアが伸びたもう一つの大きな理由かもしれない。