棋士の話術

近代将棋1995年9月号、湯川博士さんの「好きこそものの」より。

 プロ棋士は将棋を指すのが商売だが、売れてくると話すことも営業品目に入ってくる。現代ではテレビ、公開対局の解説など、ますますしゃべることでお金をとる仕事が増えてくる。

 話がうまい棋士といえば、名人格は升田幸三だろう。表現力、洞察力、声、目付き、顔つき、どれも魅力的だった。特に優れていたのは、〔間〕だ。プロの一流芸人の間を身につけていた。

 「将棋界の主役はプロだと思っとる」

 ここでジロリと会場を睨み回し、一呼吸置く。聴衆は次に何を言うか固唾を呑んで待っている。

 「アマじゃ。アマチュアの皆さんが主役なんです。それを分からんバカ者が・・・」

 固唾を呑んでいた人々はほとんどアマの人だ。どっと、会場は沸いたものだ。

 話のうまい人は、必ず待つ。相手に期待を持たせる時間を与える。

 原田九段は話のプロで、まったく将棋ファンではない集まりで講演をする。70歳をいくつか超えた今でも、月に何回か地方へ行って講演をされている。ネタも何本か違うものを用意し、聴衆によって巧みに組み替えている。これが出来る人はそうはいない。

 大山十五世名人は無口な棋士だったが名人を失ってからは、むしろよくしゃべる棋士になった。勝負の重圧から解かれたからだろう。口調に岡山弁が入るのがご愛敬で、ト抜きのしゃべりが特徴だった。

 「将棋(と)言うのは、駒が働かな(いと)いかんので、遊んでいる駒(を)動かす(と)言うのはいい手」

 主に、将棋から教訓を引いた話が多かった。講演が普及活動になると信じて、一日3回も掛け持ちしたこともある。話の内容より、あの大山が来たという点がいちばんの効果であったようだ。

 内藤九段は歌で鍛えた舞台度胸と発声のよさ、見た目のよさ、加えて人情味あふれる語り口が人の胸を打つ。歌をやっているだけあって、発音がきれいで間も申し分ないし、耳に心地よい。ネタはちょっといい話や、おもしろい体験談をうまく織り混ぜて飽きさせない。終わってアルコールが入った席では、今度は関係者を喜ばせる。

 米長永世棋聖も間がうまい。独創的なモノの見方や考え方を次々披露し、聴衆を引き込んでゆく。笑わせるというより感心させるような、得をしたような内容がある。ちょっと話の出だしが小さく聞き取りにくいときがあるが、かえって耳を傍立てさせる効果を生んでいる。昔の落語家・らくだの三笑亭可楽がそうだった。専門家のくせに発音がハッキリせず聞き取りにくい。にもかかわらず引き込む技術が素晴らしかった。

 最近の人では、スーパースター・羽生がNHK講座の講師をやって人気をいっそう高めた。あれだけ勝っていると、毎月のように人前で話す機会があり、だいぶ上達されたようだ。特徴は、

 「え、まあ、そういうことは・・・」

 え、まあ、で間を取って、次のことばを生み出しているようだ。これは若手の棋士に共通なテクニックのようである。

 ごく最近感心したのが、中村八段だ。IBM杯の決勝を見に行った。優勝した中村八段のあいさつがあった。彼も昔は「え、まあ」を使う話し方だったが、今回はそれがきれいに取れ、間もいいしジョークもうまい。声も通るし格段の上達に驚いた。奥様がアナウンサーというのがたぶんに影響されているか・・・。

 神吉五段は気持ちからして、完全にタレントになっている。プロにうまいと言ってもヘンなので、その切り替えの根性が凄いと称賛するしかない。

 先崎五段も半分しゃべりのプロだが、本人は棋士であること、素人であることを意識している。それが表現に一種の照れとして出てくるのが、好印象を与えている。

 棋士には早口の人もいる。頭の回転のよさがそのまま口調に現れてしまったのだろうか。加藤(一)九段はもの凄い速さで変化を解説する。

 「え、はい。ここでは銀で取って桂を跳ねて、こう行ってこう、と。先手十分だと思います。ええ・・・」

 おそらく、人の倍から3倍の情報量を発信しているだろう。情報誌「ぴあ」の極小活字のページを思い出す。

(中略)

 人の批評ばかりしたが、人前でしゃべるのは思っていたよりグーンと難しい。私も若いころ早口だと言われ、意識的にゆっくり話したこともあった。

 5年前から詩吟を始めたが、これは話し方に大きな効果があった。まず腹式呼吸で発声する練習がある。お腹を風船を膨らますときと同じように固くしながら大声を出す。アエイオウーと、ひとことづつゆっくり発音・・・。これをやっていると、いつのまにか腹から声がでるようになる。講談師の田辺一鶴さんは、ひどい吃音だったので、講談を始めた人だ。なにか芸事をやるといいようだ。

 連盟会長の二上九段は長年小唄を習っている。そういえばいつかカラオケを聞いたとき、声がビブラート(震え)しなくなっていることを伝えたら、喜んで下さった。あいさつも、だんだんうまくなられた。とくにジョークがぎこちなかったのが場数を踏んだせいか、笑いをとるようになった。これはたいへんなこと。

 私も一度だけ小さい会で30分しゃべったが、スタートしてしばらく笑いが取れず、頭の中が白くなった経験がある。

 声と早口は少し直ったが、間が難しいと思うときがある。調子に乗って話しだすと、(あ、いかん)と分かっていても止まらない。アルコールが入ると全然いけない・・・。嫌われるもとだ。

 人生後半のテーマにしようと思う。

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昭和の末期のことになるが、堺屋太一さんの講演を聴いたことがある。

冒頭に堺屋さんが最も伝えたいことを簡潔に述べ、そこからは最も伝えたいことを裏付ける実例の数々を話す。そして最後に、冒頭に述べた最も伝えたいことを結論として終わる、という、非常にわかりやすい構成・展開だった。

間にはさむ実例が面白いものばかりで、なおかつ、講演時間によって挿入する実例の数を変えればどのような時間の長さの講演にも対応できるわけで、見事だなと感心したものだった。

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原田泰夫九段は、堺屋太一さんとは反対に、自ら「飛車、角、桂のごとく飛ぶのが原田節の癖」と語られていた通り、あいさつや講演で話が次々と展開していくのが特徴だった。

話があちこちに飛んだとしても、話がわかりやすく面白いので、5分の乾杯のあいさつの予定が25分近くになったとしても、皆が喜んで原田九段の話を聴いていた。逆に10分くらいで終わってしまうと、「原田先生、今日はお体の具合がよろしくないのでは」と心配する人が出るほど。

亡くなられる1~2年前まで、将棋とは全く関係のない海外への船の旅へ講演者として招かれるなど、原田九段は講演者としても引っ張りだこだった。

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湯川博士さんは2003年から落語をやり始め、その流れから将棋寄席が生まれた。

湯川博士さんは、「調子に乗って話しだすと、(あ、いかん)と分かっていても止まらない。アルコールが入ると全然いけない・・・。嫌われるもとだ。人生後半のテーマにしようと思う」と書いているが、このことが落語での高座名「仏家シャベル」(ほっときゃ喋る)の由来となっている。

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将棋寄席は昨年末で10年の幕を閉じたが、今年の1月15日の日本経済新聞朝刊文化面に、やはり将棋寄席に最初から参加していた将棋ペンクラブ会長の木村晋介弁護士が「将棋寄席 絶妙の受け」を書かれている。

とても面白い文章なので、ぜひご覧ください。

「将棋寄席 絶妙の受け」