真部一男八段(当時)「将棋のことを聞いてもいいか」

将棋世界1992年9月号、真部一男八段(当時)の第60期棋聖戦〔谷川浩司棋聖-郷田真隆四段〕観戦記「棋は独創にあり」より。

 箱根山中、霧につつまれた花月園ホテルに7月17日午後2時頃到着した。

 弦巻勝カメラマンの自動車に便乗させてもらい、同行は森けい二九段である。

 ここで本来ならば、ひとまず温泉につかりながら虎造(先代広沢虎造)の石松道中でもうなるところなのだが、今回は物見遊山に非ず、あくまで勉強が主体であるから部屋に荷物を置くなり、産経新聞取材本部へ直行した。

 副立会の佐藤義則七段を囲んでの継盤は1図になっていた。

 ここで郷田四段長考中とのことである。この局面の3手前にも53分考えている。本当によく考えられるものだ。谷川棋聖が郷田四段の長考について、うらやましいですといったそうだが、たしかにその集中力、持続力、エネルギーは若さの特権であり、筆者などもそう感じるが、谷川の年齢でそれをいうのはまだ早かろう。まあ半分本音、半分はオチャラケといったところか。

(中略)

 後手は玉と飛車が王手飛車のラインにはいっておりどうも工合が悪い。

 さりとて△7三桂も▲6五歩△4二角▲7五歩と桂頭を攻められて悪そうだ。

 ここでまた郷田が動かなくなった。長考してもおかしくない場面である。 

 そんな雰囲気を素早く察知した博徒森けい二が「さあさあ将棋が面白くなるのはもっとあと、それまで麻雀をやりましょう」と声を掛ける。雀鬼弦巻は当然やる気十分、いつもなら即座に加わる佐藤立会、この日はばかに神妙で「私は職務中ですので」といっこうに乗ってこない。そこで産経の長老、福本和生大人が担ぎ出されて、三人マージャンの開始である。

 博徒と雀鬼に囲まれて大人苦戦の御様子。それを見るに見かねて陰の雀聖と呼ばれていない筆者が独自の麻雀必勝理論、名づけて「テンパイ即リーチの法則」を御伝授いたしたところ、ハネ満の連発となり大人笑いが止まらない。

 そのあまりに劇的な効果に我ながら、開いた口がふさがらないでいると、ようやく局面が動き出した。

 △3四銀から△4五銀はいかにもひねり出したという感じの指し方で、自然な動きとは言い難い。

 局後の郷田の口ぶりでは、このあたりかなり悲観的な見方をしていたようだ。

(中略)

 投了直後、ちょっと悲しそうに感想を述べている郷田の姿が印象的であった。この若者には憮然という表現は似合わない。すっきりした感じの、いいキャラクターである。変な言い方だが、いずれこの青年も何らかの災難に見舞われることがあるかもしれないが、それがさらに郷田の魅力を増すことを願うのみだ。

 一方谷川は悠然たるものであった。相変わらずの大物ぶりである。

 翌朝、ホテルのロビーで弦巻さんとコーヒーを飲んでいると送迎バスの出発を待つ郷田が来て隣に座った。少し気の毒と思ったが観戦記者の役割上、「将棋のことを聞いてもいいか」と尋ねると、「構いません」との返事なので、△5三銀で△3三歩はなかったのと聞くと、放っておいても▲4三銀成と来るところなので打つ気になれなかったとのことであった。そうかもしれないなと思い、それ以上は聞く気にはなれなかった。

 次は王位戦だ。月並みだが存分に個性を発揮した将棋を見せてもらいたい。

 御両者共に、御苦労様でした。

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郷田真隆四段(当時)にとっての初のタイトル戦第4局。

この一局で谷川浩司棋聖(当時)は防衛を決めた。

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故・真部一男九段が書く文章には印象的なものが多い。

この観戦記では、特に最後の郷田真隆四段(当時)の投了後、翌朝の様子などは真部九段だからこそ描けるような表現だと思う。

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真部一男八段(当時)と森けい二九段が弦巻勝さんの車に同乗しているということだけで何か嬉しい気持ちになってくる。

良い意味の不良っぽさを持つ三人だ。

先崎学五段(当時)を飲みに誘った羽生善治棋王(当時)

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何気なく対局場に来ている森けい二九段。もちろん将棋の研究という意味合いもあるだろうが、弟弟子の郷田四段の戦いを見守りたかったからと想像され、心を打たれる。