先崎学五段(当時)渾身の観戦記「偉大なる虚像」(中編)

将棋世界1991年7月号、先崎学五段の第49期名人戦〔中原誠名人-米長邦雄九段〕第3局観戦記「偉大なる虚像」より。

 第1局の敗因は、序盤戦で▲5四歩を打たせたことにつきる。

 この手は、僕でも知っている、手である。この局面で、△9五歩と突いて▲5四歩と打たれた棋譜があるかどうかは知らないが、若手棋士の間では、常識とされているのだ。

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 この手について『近代将棋』誌上に本人の感想がある。

 「第5図(1図のこと、筆者注)で△9五歩と突きましたが、ここは△5四歩と打つのが自然な手なんです。(中略)そこに私の誤りがあったんですね。ここは△5四歩と打つべきだったんです。(中略)だけど、この将棋は中原先生にずーっとついていこうという、どのくらい攻めが強いか教えてもらおうというつもりだから(中略)。私は当然と思える△5四歩を打たないで、なぜ△9五歩と突いたのか。それは打ちたくなかったことと、▲5四歩と敵に打たれても、本譜の△8一飛から△5一飛と回って、これで受け切れると考えていたんですね。だから、▲5四歩に何とかなると思っていた。それが読んでみると駄目なんですね。そこで封じ手が87分の大長考になってしまった。やりそこなったんですね。辛い封じ手でした(後略)」

 師匠が計算ずくで打たせたと言っているのだから、外の人間はともかく、弟子が、そこに盾突くわけにはいかない。しかし、計算ずくで打たせたにしては、△9五歩に消費した19分という時間は、あまりにも短い。これは、誰の目からみても明らかだろう。また、終盤の段階ならばともかく、この序盤において、何とかなる、というのはおかしい。持ち時間の短い将棋ならばともかく、9時間のタイトル戦において、打たれてから考えるということは、ありえないのではないか。

 若手の棋士達にこの局面のことを尋ねると、彼らは一様に言葉を濁した。なかには、「見落としに決っている」とハッキリ断言する者すらいた。たしかに19分で△9五歩と突いて、当然予想される▲5四歩に対して”辛い”87分の考慮をおくるというのは、不自然きわまりない。客観的にみて、情況証拠は揃っていると言ってもいいだろう。

 この局面についての本音、正直な告白を訊くことも出来ないし、本人も、生涯語ることはあるまい。

 これはあくまで僕の想像だが『近代将棋』への感想は、かなりの部分で本音を隠しているのではないかと感じる。

 本局は勝負所らしい勝負所は無かった。僕は、都合があって、対局場の『池袋・ホテルメトロポリタン』には行けなかったが、見ていた人の話によると、感想戦は30分程で終わったという。

 それもそうだろう。この将棋、感想をするところは1図の局面しかない。1図の局面が盤上に並び、質問に答えなければならない時間というのは、不愉快この上ないだろうから―。

  

 第2局も僕にとって印象深い一局だった。1局目は、序盤で差がつき、事実上中盤の入り口で終わってしまったため、あってないような一局といえる。いわば、第2局が本当の開幕戦とも言えた。

 総ての米長ファンの望みを打ち砕いた一局だった。一日目の時点では、師匠の方が優勢だと思った。以下も二日目の午前中までは勢いのいい指し手が続いた。

 二日目、日本橋の『三越』で、無理を言って衛星放送を見せて貰った。

 時刻は午後3時。局面は2図だった。

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 谷川と中村が、局面の解説をやっていたが、少し前の局面に力を入れていて、なかなか今の局面を映してくれない。20分も苛立ち、やっと今の局面が映った。

 その瞬間、僕は心の中で快哉を叫んだ。

 「やった!」

 実際2図は、米長優勢である。僕の頭の中で駒が動く。「▲2九飛と回る、△2七桂と打つ一手、そこで▲1八桂では難しいか・・・▲2七歩と打っても先手が大優勢だ。この局面は優勢なうえに手厚い。負けようがないな、これは」

 店員の女性が「ずい分熱心に見ますね」と言って来た。「将棋がお好きなんですか?」

 「ええ、実は、あのTVに映っている右側の人、僕の親父なんです」

 「えっお父様―」

 「いい顔しているでしょ。今、命懸けの将棋を指しているんです」

 「じゃあやっぱり一手打たれるのにずい分考えられるんでしょうね」

 「将棋は指すって言うんですよ」

 「・・・・・・」

 僕は有頂天になっていた。「家の親父も本気を出せば強いな」

 その日は6時に銀座で待ち合わせがあった。日本橋から銀座まで歩き、数寄屋橋の交差点の『ソニープラザ』に5時半頃についた。

 『ソニープラザ』では2階で衛星放送を映している。はやる心を抑えて階段を昇った。

 2階のフロアには数人の人がたむろしていたが、名人戦に興味を示している人はいなかった。僕は、もう終わっているか、あるいは局面に大差がついているかと期待半分、恐いものみたさ半分でTVの前に齧りついた。

 「・・・・・・」

 声が出なかった。一瞬、何が起きたのか、全く理解できなかった。それ程までに3図はヒドイ局面だった。

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 僕の拳は、無意識のうちに握り拳を作っていた。TVに映っている「中原(上)の手番」という文字がやけに虚ろに映った。ちょっと吐き気がした。

 6時になった。待ち合わせの女性に会うなり「顔色が悪い」と言われた。「何かあったの?」

 「いや、なにも」

 夕食の予約まで時間があったので、香港製の映画を観に行った。

 僕は映画を観ながら、2図から3図迄の手順を組み立てようとしたが、いくら考えても頭の中が混沌とするばかりだった。

 映画も、隣の女性の存在も、僕の脳髄には飛び込んでこなかった。僕は鬱状態になり、頭が思考を停止した。

 映画は、主人公のレーサーが最後に死んでしまう悲しいストーリーだった。

 意外なことがおきた。2時間の暗闇が終わると、隣の女性がハンカチを目に当てていた。きれいな涙だった。僕も心の中で泣いていた。

 始まる前から、期待なぞしていなかったが、それでも、いざ2連敗されてみると、感じることはやはり失望と落胆だった。1局目はともかく、2局目は、勝てる将棋、勝たなければならない将棋で、中終盤に悪力を発揮する棋風の師匠としては、このような将棋を落とすことはシリーズの敗北に烙印を押された格好といえた。

 映画館では心の中でしか出さなかった涙が、実際に迸ったのは、1週間後のことだった。その日、先崎は、ある米長ファンと酒を飲んでいた。話題は当然名人戦のことになる。「やっぱり先チャンの言ってた通りになったね」 先崎はえらく酔っており、すでに周りの状況が判別できない程だった。「うるせえ、こっちだって本当にこうなるとは思っていなかったぜ」 あまりの剣幕に、バーの客が全員こちらを向いた。先崎は叫びつづける。ああ、俺の師匠は駄目な人間だ。負けるのはいいよ。これは仕方がない。しかし一方的に負けちゃいけないよ。3局目も4局目もあるって?そんなのどうせ勝てる訳がないさ。南なんかに王将を取られちゃいけないんだ。将棋界のためを思えば南王将より米長王将の方が100倍もいいんだ・・・。ああ、本当に駄目な将棋指しだ・・・。ウイスキーのストレートを一口で飲む。友達が、もうやめろよ、と言う。うるさい。知ったこっちゃあるかい。ストレートをまたあおる。せめて全国の将棋ファンを米長ファンを失望させちゃいけないよ。涙が頬をつたう。先崎は、元来涙もろいほうだが、たかが人の将棋のことで泣いたことはなかった。バーテンが「もうよした方が」と言いながらウイスキーを注ぐ。ウイスキーの涙割りだ。先崎は、その日友人の四畳半に海老のようになって寝た。翌日、二日酔いの廃墟の中で目覚めると、ポケットに、友人のハンカチが、ぐしゃぐしゃになって入っていた。

(つづく)

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1図で米長邦雄九段(当時)が△5四歩を打たなかった理由は、近代将棋1991年6月号、米長邦雄九段の名人戦第1局自戦解説「幻の入玉に敗れる」の中で2頁に渡って語られている。

一方、将棋世界1991年6月号では、この名人戦第1局の観戦記を谷川浩司竜王(当時)が書いている。

 実は図(1図の2手前)までは3月26日の天王戦、(先)中原名人-高橋九段戦と全く同じなのである。高橋九段はここで△5四歩と打ち、(中略)後手を持って、あまり自信がない、とは高橋九段の感想。

 個人的な意見だが、図の後手番というのは指す気がしない。先手陣のほうがまとまっているし、8三の飛車の形が悪すぎるからである。

 交換した歩をすぐ打ちたくないのは、プロ共通の心理だが、△9五歩は危険な一手だった。54分、中原名人はじっくり考えて、▲5四歩。

 米長九段も、中原-高橋戦は当然知っていたはずである。敢えて手を変えたわけだが、▲5四歩と打たれてから87分、それも封じ手時刻を過ぎてから27分も考えるのでは、何か誤算があったとしか思えない。

 感想戦での米長九段は、この局面についてはあまり触れなかった。意外と単純に、▲5四歩を見落としていたのではないかという気がする。

 実際、ただで取られてしまうので▲5四歩は指しにくい手である。が、△5四同金は、▲7三角成△同銀▲4六桂△4三角▲5四桂△同角▲5八飛で先手が指せる。

(以下略)

将棋マガジン1991年6月号では、この名人戦第1局の観戦記を高橋道雄九段が書いている。

 従来はこの歩(▲5四歩)を打たせては後手損、と言われていた。

 それをあえて打たせる。

 △9五歩は、常識への挑戦と言えよう。

 もっとも、実際に打たれ、読み直してみるとなかなか厄介で、驚かれたと思う。何と87分もの大長考で次の手を封じ、一日目を終えた。

(中略)

 開封された封じ手は、△8一飛。

 この手に少々びっくり。

 あの米長九段のこと、何か激しく切り合う順に活路を見出していくのではないか、と期待していた。私の予想は△5三歩で大ハズレ。

 △8一飛も指されてみればなる程という手で、5筋へ飛車を転回し、5四の歩を負担にさせようとの考えだ。但し、こう指すなら先の△9五歩は△1四歩の方が得で、そこは何か九段に予定変更があったか。

(以下略)

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名人戦第2局の二日目(1991年4月26日)に先崎学五段が女性と二人で観た香港映画は、

4月20日から公開されていた『過ぎゆく時の中で』と思われる。

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怪我でバイク・レース界を引退した子連れのやもめ男が、10年ぶりに別れた妻に再会し、愛が再燃。それとともに、今一度レースに取り組む勇気も湧き復帰するが、悲劇的な事故に襲われてしまう・・・というストーリー。

この頃、「レナードの朝」、「ラスト・フランケンシュタイン」、「仔鹿物語」、「イントルーダー 怒りの翼」、「ロビン・フッド」などが上映されている。