将棋マガジン1990年4月号、奥山紅樹さんの「棋界人物捕物帳 東和男六段の巻 関西若手の『七不思議』解きまっせ…」より。
紅樹独白…関西若手棋士集団に七不思議があるのをご存知か。「七つのなぜ?」といってもよい。順不同で並べてみよう。
- なぜ時の名人は結婚しないのか?
- なぜ村山聖五段は、ああもムチャクチャに終盤が強いのか?
- なぜ井上慶太五段ほどの強者が、いまのクラスに足踏みしているのか?
- なぜ若手棋士の間に研究会がないのか?
- なぜ来る日も来る日も、若手棋士が”棋士室”に集まってくるのか?
- なぜ「関西将棋」というものが近年すたれてきたのか?
- なぜ関西奨励会員は、ああも行儀良く礼儀正しいか?
右「七不思議」をスラスラと解く人がいるから「事件だぁ!」。その人、関西若手棋士の温厚なるリーダー東和男を追った。
「静かなるドン(親分)だそうですね?」
と水を向けたら、
「ドン?それはちがいます」
ドンでもないと手を振って否定した。
「じゃあ、関西若手の兄貴分?」
「うーん……奨励会の幹事を3年3ヵ月やってましたから……そのころの少年たちが現在の関西を代表する若手棋士になってます」
神吉宏充。井上慶太。佐藤康光。有森浩三。阿部隆。浦野真彦。長沼洋。村山聖……とひとりひとり指を折って名前をあげながら
「みんな、強うになってしもうてからに」
ニコニコ、ニッコリと笑った。
それぞれ、どんな少年でしたか?まず本誌爆笑連載でおなじみの神吉プロは。
「おとなでしたねえ。子どものころから人間が出来てました。落ち着いた人柄で……」
その通り。老成した沈着ぶりは6年前、私も初対面でピンときた。へえへえ、何でも書きまっせの三枚目パフォーマンスは、この人の頭の良さをしめしている。本当の姿はしぶい二枚目なのだ。井上慶太プロは?
「将棋は知ってへんけど、まじめな、持ち時間切迫に苦しむ少年でした」
よく見てますねえ。そのころからコンマ七ケタまで答えをだすような、井上プロの精密なヨミが出ていましたか。
「とにかく律儀に盤面と格闘する人でした。この子は強うになるな、と見てましたら、やっぱり」
佐藤康光少年は?途中で上京しましたが。
「この子はピカッと光ってましたねえ。手厚い将棋で、大物の風格がありました」
村山聖プロは?
「終盤の力だけで勝負するという、コワい子供。カラダを張って将棋を指すというか……将棋に対する執念の人一倍強い少年でした」
有森浩三五段はどんな少年?
「人を食ったというか、野放図というか。こっちの心のなかにどかどかっと入ってきて、無礼やないかと顔見たら『何や有森か、君ならしゃあないわ』と。憎めない、天才型の子」
なるほど、阿部隆五段は?
「自信満々。自分で自分にハッパをかけて前進していく、戦闘的な子」
現在の、そうそうたる関西若手棋士群像の個性―その原型があざやかに語られていく。やっぱ、あんさんは関西のウドン、やのうてドンでっせ。
長沼洋さんは?
「”駒取り坊主”いわれてましたねえ、とりあえず駒取っといて損はないというか、人生観もそういう子でした」
浦野真彦さんは?
「部分部分にこだわるというか、すばしっこい、鋭い感覚を持った少年でしたよ」
奨励会幹事を3年つとめると、人間を見る目がたしかになり、作家的能力が発達するものらしい。
いざ「七不思議」に参ろう。井上五段足踏みのナゾを何と解く。
「これはほんまに不思議やねえ……将棋の質はすでに高段ですわ。けど、展開にめぐまれないというか。えらいなあと思うのは、昇級逃した翌日でも朗らかな顔してますね、彼は。心の中では泣いとるんやろうけど……井上将棋はやがて大爆発しますよ」
(中略)
走れ、慶太!東六段の答は「井上君はかならず上がっていきますよ」と確信100%の濃縮生ジュースであった。
では、村山聖五段の終盤の怪力はどこからくるものなりや。
「詰将棋ですわ。奨励会員のころ、かれはとにかく詰将棋と名のつくものなら、なんでもかんでも解いていました……師匠の森信雄五段は解く方も、創る方もやるでしょう。けど村山君は解く方一本です。
解きも解いたり、年間七千題を解いた、という”聖伝説”を耳にしたことがある。
関西将棋会館3階に棋士のたまり場のような一室があり、いつも駒音がしている。村山聖選手が入ってくる。
「ちょっと教えて……これ詰んどるか?」
と若手棋士が声をかける。
村山選手、盤面をちらりと見て
「詰んどるやろ、桂から打っていって」
難解な終盤の局面に、たちまち答が出る。
「これ、どっちが勝っとん?」
階上開対局室で進行中の一局が並べられる。
「こっちが勝っとる」
村山選手のひとことに若手棋士集団がうなずく。この人の局面鑑定には絶大な信用がある。その源泉は、詰将棋を解いた膨大な量だ。玉感覚のするどさ。直感をたよりに、ぐいぐいヨミ抜く「力」は、一にも二にも詰将棋にある―と東六段はいう。
(中略)
この点について、昨年秋に羽生善治プロにも聞いたところ、「詰将棋を一年で三千題解けば……どんな人でもアマ四段になれます」と断言していた。聖なる塩、聖なる塩。皆様詰将棋を解きまくろうぜ。
(以下略)
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今日の記事では抜粋できなかった2、3以外の「当時の関西若手棋士七不思議」の真実は次の通り。
5.なぜ来る日も来る日も、若手棋士が”棋士室”に集まってくるのか?
→「一つは研究会がないから。もう一つは仕事がなかったから」
4.なぜ若手棋士の間に研究会がないのか?
→「もともと関西の棋士は研究会はやらんのです」
6.なぜ「関西将棋」というものが近年すたれてきたのか?
→居飛車穴熊の出現により関西棋界の主力戦法だった振飛車が大きな影響を受けた
→FAXなどにより棋譜情報の伝達が飛躍的に早まり東西の情報の壁がなくなった
7.なぜ関西奨励会員は、ああも行儀良く礼儀正しいか?
→「西の伝統ですねえ。歴代の奨励会幹事が口やかましい。若い人たちから相当にけむたがられたんやないですか。日常のこまかいところまでねえ……」
1.なぜ時の名人(谷川名人)は結婚しないのか?
→書くスペースが尽きて、追求はされなかった
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詰将棋を一年で三千題解けばどんな人でもアマ四段になれる、という当時の羽生善治三冠の言葉。
毎日やるとしたら一日あたり8題から9題。
平日に1題ずつだと土曜日に26題、日曜日に27題。
平日に2題ずつだと土曜日に24題、日曜日に24題。
平日に3題ずつだと土曜日に21題、日曜日に22題。
何手詰をやるのかにもよるが、かなりストイックな1年になりそうだ。
しかし、逆に考えて、「1年で四段になる特効薬」と思えば、非常に効率的だし、お勧めの方法なのかもしれない。