「凶悪無残な先輩の女だと承知で、いい女と寝てしまった時」とよく似ている局面

将棋マガジン1990年3月号、安部譲二さんの駒落ち挑戦記「負けても懲りない12番 第3番:大内延介九段」より。

 米長さん、谷川さんと二連敗して、三番目は大内延介九段だと、将棋マガジンの編集部は、楽しそうに歌うように言う。

 二枚落ちという手合は、家の猛妻チンコロ姐さんの言うように、これは負ける方がおかしい。

 「あーた、両手に後ろ手錠をかけて、背中で留めたみたいなもんなんでしょうよ。米長さんや谷川さんは……」

 それなのに、どうして負けるのだとチンコロ姐さんはいぶかしそうな顔をする。

 この昭和32年生まれの女は、商売人の力というものを御存知ない。

 すっかり尻に敷いて馬鹿にしている亭主だって、昭和56年までは、毎日勝負で飯を喰っていた男だ。

 将棋こそ、自分で嫌になってしまうほど、甘い腕だけど、手本引の胴を引かせ、サイコロを転がさせたら、広い日本でも五十番目以内にはランクされた勝負人だった。

 その道の商売人というのは、どうしたって素人や旦那衆とは桁違いに、段違いに強い。

 二枚落ちのことを、上手が両手を後ろに縛られたみたいだとか、下手の方が、拳銃と日本刀を持って喧嘩しているみたいで、負ける方がおかしいなんて、そんなこと、いくら夫婦だってよく言えるものだ。

 二枚落ちだろうが何だろうが、商売人は鬼のように強い。

 駒落ち定跡の本を広げて、並べてみると、確かにこれで上手に負けるわけはないと思う。

 絶対に、どうしたって、負けるわけがないと思う。

 それでも俺は、今までに米長さんと谷川さんに、それこそ子供が泣かされるような目に遭わされた。

 定跡の本には、そこまでの変化が書いていない手を、ヒョイと指されて、俺は応手を誤ってメロメロ、コテンパンの非道い目に遭わされてしまったのだ。

 大内延介九段とは、面識がある。

 一度、出版社のパーティーでお目に掛かって、御挨拶を申し上げたし、御著書の『将棋の来た道』も拝見した。

 「今日はこの大内先生だ」

 と、チンコロ姐さんに、大内延介九段の御写真を見せたら、「あ、こんな優しそうな方……」

 なんて、愚かな女房殿は叫んだ。

 この愚妻は、俺が博打打ちだった全盛期を知らないから、こんな馬鹿なことを言う。

 勝負の世界では、猛々しく鋭く見える男より、優しく穏やかな方がよっぽどヤバイ。

 俺達の世界でも、映画に出て来る高倉健や菅原文太のようなタイプより、三島雅夫や、今で言ったら西田敏行のような、笑顔を秘めた男の方が、勝負の相手にすると大変なのだ。

 お顔の優しいということは、それだけ甲羅を経ている……ということも、勝負の世界の鉄則だから、俺は褌を締め直して将棋会館に出掛けた。

(中略)

 「ああ、こんな方が、俺の学校の先生だったら、俺はぐれたりしなかっただろう」

 と、思ったほど、大内延介先生は俺に優しくして下さった。

 駒を、女流の谷川さんに教えていただいたとおり並べて、俺は両手を突いてお辞儀をすると、

 「お願いします」

 と言って頭を下げた。

 シメタ、大内さんは、やられると変化が多くて大変な△5五歩を指さない。

 俺は指をしならせて、急いで▲3六歩と突く。

 早く指さないと、「ヤメタ」なんて言って、やられて嫌な△5五歩を伸ばされると思うのは、塀の中で甘煮豆を賭けて将棋を散々指したからで、プロのそれも九段の大内さんがそんなことをなさるわけもないのだが、これが哀しい性と言うのだろう。

(中略)

 ▲6一竜。王手ッと心の中で叫んだら、大内さんはニコニコと、△6二金と合駒をなさる。

安倍大内1

 俺が猛然と▲6四角としたら、大内さんはスッと△6一金と竜を取った。

安倍大内2

 この飛車を打ち込まれては、ひとたまりもないということが、いざ取られてみるとよく分かるのだが、今となってはどうすることも出来ない。

 まだチンピラの頃、凶悪無残な先輩の女だと承知で、いい女と寝てしまった時とよく似ている。

 これでハッキリ駄目になった。もう潔くやられるしか、他に道はない。

 ああ俺は、チンピラの頃から少しも成長していないと、自己嫌悪の権化になりながら、それでも俺は指し続けた。

(中略)

 ここまでで俺の玉砕バンザイ・アタックは矢弾が尽きる。

(中略)

 キャンバスに沈んで行く俺の目に、大内さんの優しいお顔が見えた。

 ああ、俺は何と弱くて、トップ・プロは鬼のように、マイク・タイソンのように強いことか……。

—–

本譜は、2図から▲5三角成△7二玉▲6三銀△8一玉▲7二歩△5八と▲同玉△4八飛と進んで、安部譲二さんの負け。

△6一金(2図)と、竜の方を取られた時は、血の気が引く思いだったろう。

しかし、局後の大内九段の指摘で、2図で▲5三角成ではなく▲5五角(詰めろ)であれば下手の勝ちだったという。

凶悪無残な先輩の女だと承知で、その女性と寝てしまったけれども、違う出口から出ていれば見つからずに実は助かっていた……というような話となる。

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安部譲二さんは、

麻布中学→渋谷の安藤組の若衆に→テキ屋と争い傷害事件→海外へ逃亡しイギリスの寄宿制学校へ転校→帰国し慶應義塾高校に入学→正式に安藤組組員に→大学生との喧嘩で高校を除籍処分→高校を何回も転校→安藤組組員として活躍→22歳で定時制高校を卒業後ホテル学校に入学→日本航空に客室乗務員として入社→安藤組解散・日本航空も退社→新宿の小金井一家にヘッドハンティングされる→組の仕事と青年実業家(レストラン・ライブハウス経営、外車販売、プロモーター、キックボクシングのテレビ解説者など)の二足草鞋→この期間に国内外で服役複数回→1981年に足を洗って堅気に→1983年作家デビュー

という経歴。

麻布中学時代は故・橋本龍太郎元首相と同じクラス、日本航空当時は、当時社員だった深田祐介さんとも知り合っている。

1966年には三島由紀夫原作、田宮二郎主演で日本航空時代の安部譲二さんをモデルとした映画『複雑な彼』が大映で制作された。

余談になるが、安部譲二さんの当時の妻だった遠藤瓔子さんが青山のジャズクラブ「ロブロイ」を任されており、その頃に「ロブロイ」でピアノを弾いていたのが高校生だった矢野顕子さんだった。

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脚本家の倉本聰さんの本に書いてあったことだが、倉本さんがその筋の組長が複数人集まっている場で、「どの俳優が演じるヤクザが一番怖いか」という質問を投げかけたことがあった。

その時、異口同音に「松方弘樹」という回答が返ってきたという。

武闘派なら松方弘樹さん、博徒なら西田敏行さんのようなタイプが最も怖い、という結論となるようだ。

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