将棋世界1994年7月号、写真家の弦巻勝さんの写真エッセイ「ぼくのアルバムから 戌年の会」より。
初夏新緑がエネルギーを発散している。命をけずり争う順位戦までのこのわずかの間、棋士達は新たな気持ちでみなそれぞれの想いをあたためる。
ジーパンにTシャツがフィットしていた者がスーツに身をかため将棋会館に現れたり、いつ電話してもアパートでゴロゴロしていた棋士がスポーツセンターに通い始めたりと…。
そんな5月のある日、NHKの向かいのうなぎ屋「うな将」に毎年十人ほどの棋士が集まる。かれこれ3、4回になる。加藤治郎名誉九段をはじめ、羽生四冠王、北村九段、剱持八段、勝浦九段、森九段、蛸島女流、山下女流、小野七段、本間五段、野田四段、森内七段、先崎五段、丸山五段、藤井五段と…。
若手達は長老の話に耳をかたむけ道を学び棋界の昔話に白い歯を見せる。ほとばしる若手のエネルギーに長老は目を細める。棋士達の和が初夏の日差しとまじりここち良い。
戌年の会、年上の者と年下の者で五廻り違う。
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「うな将」は厳密には、NHKを井の頭通りをはさんで向かい側に渡り、代々木公園の方へ進み、何本めかの道を左に入り、ちょっと中に入った場所にあった。
NHKでの収録の後、多くの棋士が通った店として知られる。
残念ながら、数年前に閉店している。
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1990年の戌年の会の写真では、
テーブル左の列奥から、故・加藤治郎名誉九段、羽生善治三冠、森内俊之竜王名人、蛸島彰子女流五段、山下カズ子女流五段……
テーブル右の列は奥から、故・小野修一八段、剱持松二九段、丸山忠久九段、森けい二九段、一人おいて先崎学九段……
1991年の戌年の会の写真は加藤治郎名誉九段が立って話をしているシーン。
後ろ姿の棋士が多いが、テーブル左の列奥から、加藤治郎名誉九段、二人おいて勝浦修九段の後ろ姿……
テーブル右の列は奥から、羽生善治三冠、先崎学九段、一人おいて森けい二九段の後ろ姿……
この2回だけ見てみると、
- 加藤治郎名誉九段はテーブル左側の一番奥が定席
- 羽生三冠は左右はこだわらないが可能な限り奥に座る
- 羽生三冠の隣には羽生世代の棋士が座る
- 森けい二九段はテーブル右側奥から4番目の席が好きだったのかもしれない
などの傾向が読み取れる。
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この年、「戌年の棋士を祝うファンの集い」が催されている。
近代将棋1994年8月号より。
6月1日(加藤名誉九段の誕生日)午後6時30分から、東京の京王プラザホテルにて表記の会が開催され、ファン250人が集って戌年を祝った。
戌年会の棋士は加藤治郎名誉九段(会長)、羽生棋聖、剱持八段、勝浦、森両九段、森内、小野両七段、丸山、先崎、藤井、本間各五段、野田四段、女流の蛸島、山下両五段という錚々たるメンバー。当日は二上会長、米長名人らもかけつけて盛り上がった。
代表して羽生名人(当時は四冠)があいさつ。最後のあいさつは加藤名誉九段がしめくくったが、花やかな有意義な一日だった。
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加藤治郎名誉九段が亡くなってから以降、あるいは羽生世代同士のタイトル戦での戦いが激化して以降、戌年の会が続いている可能性は低いと思われるが、いつの日か、このようなイベントが行われたなら、ファンの方は大喜びだろう。