上には上がいた

将棋世界1994年1月号、鈴木輝彦七段(当時)の「対局室25時 in 東京将棋会館」より。

 得意戦法といえば、15日のNHKニュースの中のインタビューで羽生五冠王が「盤に座るまで作戦は考えていません」と言っていた。この方が相手は困るかもしれない。大山先生はもっと凄くて、順位戦の日も「先後はどっちだったかね」と言っていたし、ある時は「相手は誰だった」なんて仙人みたいな事もおっしゃっていた。

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「仙人は霞を食べて生きている」と言われているが、本当は何を食べていたのか調べてみた。

仙人の修行には呼吸法や歩行法、錬丹術、導引術などがあり、食事も修行の一環とされていた。

Wikipediaによると、五穀(米、麦、粟、黍、稗)を断つ「辟穀」を行なっていたので、必然的に松の実など植物性の食物が主体となっていたとある。

たしかに、松の実なら仙人の食べ物としてイメージに合っていると思う。

それに、松の実なら粟や稗よりも絶対に美味しい。

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粟や稗と言えば、小学生の頃の国語や社会の教科書などの記憶から、飢饉の時や年貢の取り立てが過酷な時などにやむを得ず食べる穀物の代名詞という印象が強い。

米は冷害などに弱く収穫高が不安定だったため、天候条件が悪くても安定的に収穫できる粟や稗などがリスク分散のために育てられていたというのが実情らしいが、戦時中に実際に粟や稗を食べたことのある人の話によると、食べても腹に溜まらず、しかも美味しくないということだった。

現在は五穀米ということで、粟や稗が入った雑穀米が白米よりも高い値段で販売されている。

雑穀の生産量が少なく需給の関係から雑穀米の方が高くなっていると考えられる。

昔の映画やテレビドラマでは、刑務所に入ることを「臭い飯を食う」と表現していたが、刑務所の食事で出るご飯が白米と麦の混合だったことから来ている。

そういう意味では、雑穀米や麦飯の地位がこれほど上がっている現代というのは、昔からすれば想像もできない時代だろう。

子供が好むような食べ物が好きで通俗的な私にとっては、雑穀米は仙人の食べ物のようにも見えてしまう。