中原誠前名人(当時)「僕との将棋で谷川さんは全精力を使い果たしちゃったかな?」

将棋世界1994年4月号、大崎善生さんの「編集部日記」より。

2月4日

A級順位戦8回戦の原稿を青野八段に電話で発注。「丁度その頃、しめ切りの原稿が三本ありまして」と八段。「三本も四本も忙しいのは同じじゃないですか」と私。「それもそうか」と八段。いつもこんな調子で青野八段は結局は引き受けて下さる。

(中略)

2月12日

東京は大雪。私は9時間かけて京都へ移動。京都都ホテルでの棋王戦公開対局は観客数も多く素晴らしい盛り上がり。特に女性ファンの姿が目を引いた。夜、羽生、南両対局者と森六段、記録係の野間君、林葉女流、池崎さんらとホテルのバーで歓談。話題の中心は森さんの新婚生活。本当に皆で大笑い。漫画のような楽しい生活ぶりだ。その後、森さんの部屋で飲んでいたら午前2時頃、神吉さんが突然現れる。「大阪から京都なんてタクシーですぐや思っとったのに」。大阪で一杯ひっかけた勢いで車でかけつけたという。「今頃、何しにきたんや」と皆にからかわれていた。

(中略)

2月18日

青野八段は編集部の机で原稿書き。夕休時に事務室に現れた中原前名人が羽生-谷川戦の棋聖戦を並べながら一言。「僕との将棋で(谷川さんは)全精力を使い果たしちゃったかな?」。周りにいた一同爆笑。「あれっ、編集部には聞こえなかったよね?」と笑顔の前名人。しっかり聞こえました。

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私は子供の頃、「五十歩百歩」の故事での百歩逃げた兵士よりも五十歩で踏みとどまった兵士のほうが立派なのではないかと思っていたほどなので、青野照市八段(当時)と大崎善生さんの「三本も四本も忙しいのは同じじゃないですか」「それもそうか」のやり取りは、まるで神界での会話のように思えてしまう。

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ネットで調べてみると、大阪駅から京都駅までタクシー深夜料金で¥16,740 ~ ¥18,600 ( 約50分 ・高速料金別)。1994年であれば12,000円前後のタクシー料金だったかもしれない。

神吉宏充五段(当時)は、きっと北新地で飲んでいて、午前0時過ぎに京都へ行こうと思い立ったのだろう。

気持ちはとてもよくわかる。

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この期の王将戦七番勝負で、中原誠前名人(当時)は谷川浩司王将(当時)に挑戦して、2-4で敗れている。

並行して行われていた棋聖戦五番勝負では、谷川王将が羽生善治四冠(当時)に挑戦してフルセットの末に敗れている。

中原誠十六世名人の「僕との将棋で(谷川さんは)全精力を使い果たしちゃったかな?」は、まさにそういうタイミングで話されたこと。

中原誠十六世名人が言うからこそ面白さが倍増する。