石田和雄九段の十八番

将棋世界1993年6月号、日本将棋連盟普及事業部の石橋弘光さんの「全国棋士派遣プロジェクト 千葉」より。

 棋士派遣プロジェクトの第1回目は、桜の花も咲き、すっかり春らしくなった4月の4日、千葉県柏市にある「松葉町近隣センター」で開催されました。

 第1号の派遣棋士に選ばれたのは、独特の解説と気さくな人柄でおなじみの石田和雄九段。石田九段は、自宅が松葉町近隣センターの近くであるということもあって、自ら派遣棋士を買って出ていただきました。

 お招きいただいた松葉町将棋同好会は、1年前、地元の将棋好きが集まって結成し、現在では約30名が週1回の会を楽しんでいるそうです。

 2時少し前、幹事のお一人、波多野さんが車で九段を迎えに来ると、「我が家の家庭菜園をぜひご覧下さい」と石田九段。腕時計をチラチラと気にしつつ、ご自慢の菜園を少しだけ拝見することにしました。「収穫の時には、またいらして下さい」と九段から気軽に声をかけられた波多野さん、すっかりご機嫌になり、その後の指導対局でものびのびとした指し手で、勝利を収められました。

 九段が入場すると緊張した空気の中から盛大な拍手が沸き上がり、派遣プロジェクトいよいよスタートということにあいなりました。指導は角落ちから二枚落ちまで合計14局。対局中「いやまいったなこれは」「なるほどなるほど」といった、おなじみのぼやきが出るなど、九段も絶好調。

 成績は松葉町の5勝9敗。たとえ駒落ちでも九段に5勝は立派。

 九段からは「ここはレベルが高いですね」という言葉もあり、緊張の中にもなごやかなムードで対局が進んでいきました。

 対局終了後、幹事の秋永さんより、二次会のご用意があるということで、近所のお寿司屋さんへ大移動となりました。

 このプロジェクトの目的は「将棋連盟の基幹事業で~中略~将棋活性化を図る」といったことですが、このお寿司屋さんの2階では、そういうおかたい話はすっかり忘れ、飲めや歌えの大宴会が始まりました。歌といえば、九段も大のカラオケファン。さっそくリクエストしていただいたのは、内藤九段の「おゆき」、そして十八番の「新潟ブルース」と続きました。「先生は棋士より歌手の方が良かったんじゃないの」などと冷やかされながらも熱唱また熱唱。松葉軍団も負けじとマイクの奪い合いとなりました。

 すっかりごちそうになった所で、そろそろお開きになるかと思ったのですが、大まちがい。どこからともなく「先生もう一軒」の声がとび出し、一行は近くの洋風居酒屋へまたまた大移動。こんなに飲んで明日(月曜日)だいじょうぶかな?などと思いつつも、三次会へ突入することとなりました。このあたりから報告者の意識も薄らいでおり、はっきり申し上げてどんな話があったか定かではありませんが、ただ九段より、柏の将棋を一層発展させ、将来は「将棋姉妹都市」もつくりたいという広大なスケールの話もあったようです。

 ともあれ地元の方々と将棋連盟の距離がグッと近づいたという確かな手ごたえを感じつつ、大変楽しく、無事第1回目を終えることができました。これもひとえにお集まりいただいた皆様の温かいご協力のあかげと感謝しております。また、この会の前身である柏将棋教室時代から将棋普及にご尽力いただいた福富さん、荒井さん、安藤さんはじめ、多くの皆様に御礼申し上げます。

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将棋世界1994年3月号、鈴木輝彦七段(当時)の「対局室25時 in 東京将棋会館)より。

 上席の石田-屋敷戦は4図。ただし、後手の陣形が「横歩取り3三角型」ではなく「3三桂型」なのが面白く初めて見る形だった。

 こうなると屋敷君のオリジナルともいえるが、ハッキリ言ってとてもついていける感覚ではない気がする。それに、今まであった「7二玉型」での研究はどうなるのだろうか。

(中略)

 自分の対局室に戻ると石田さんが5一の金を何度か打ち直している姿が目に入ってきた。「気合が入っているな」と思うとともに、何か変だなぁとも感じた。

 暫くして、それは屋敷君の対局席な事に気が付いて、その微笑ましい姿に笑ってしまった。

 こんな事をしてイヤミに映らないのは、棋界広しといえども石田さんくらいだろう。これで、相手の好手が見えるとは思えないが、石田さんの座右銘である”盤上没我”の姿そのものであるといえる。

 対局一筋。昭和の石田三吉とまで称された石田九段であるが、最近事情があって自宅近くで道場を経営される事になったそうだ。意外といえば、これ程意外なこともないけれど、始めてみれば、天職のように合っていると思えるのが不思議である。

それに、棋士にも、年代にふさわしい生き方があってもいいのではと思う。”何が何でもトーナメントプロで”というのも素晴らしいが、衛星的に棋界を見守る立場というのも立派な気がする。

 「道場はどうですか」と声を掛けると「まあまあだね。それから、明日は将棋大会なんだよ」と満足そうな返事が返ってきたので、こちらも嬉しくなってしまった。

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将棋世界1994年3月号、池崎和記さんの「昨日の夢、明日の夢 南芳一九段」より。

 僕が初めて南の対局を観戦したのは昭和61年3月14日だった。内藤國雄との順位戦B級1組最終戦。勝ったほうがA級に昇級する大勝負だった。

 その日、僕は朝から関西将棋会館に詰め、対局室と控え室を行ったり来たりしながら、南-内藤戦を見ていた。ふだん軽い冗談を飛ばす内藤も、この日は一日中無言。もちろん南もそう。対局室の空気は不機嫌で、足を踏み入れるたびに無数の針のように僕の皮膚をチクチク刺した。

 内藤が手将棋に誘導し、午後10時を回ったころは南の必敗形になっていた。その将棋が午前0時前にひっくり返った。内藤に大悪手が出たのだ。

 午前0時37分、内藤は駒を投じてから「何とひどい手を・・・」とつぶやき、そのあとすぐ部屋を出て行った。1分たち、2分たったが、南は顔を上げることができない。一足先に福崎文吾との対局を終えていた石田和雄が、内藤の席に座って感想戦の代役を務めたが、それでも南は十数分、一言もしゃべらず、うつむいたまま駒を動かし続けた。

(以下略)

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地元の2次会でのご機嫌なカラオケ、そして3次会。石田和雄九段が柏将棋センターを開設するのはこの少し後のこととなる。

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昼休中に相手側の席に座って検討する石田九段、隣の対局の感想戦の代役をする石田九段、どちらもいかにも石田九段という趣き。

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今日のNHK杯戦、藤井猛九段-渡辺大夢四段戦の解説は石田和雄九段。

石田九段は渡辺大夢四段の師匠。

ほぼ1年ぶりのNHK杯戦での解説、今からとても楽しみだ。