升田幸三九段(当時)「小僧、早く指せ!!」

将棋世界1993年5月号、大野八一雄五段(当時)の16ページ講座「升田式石田流」より。

 私が、一番最初に升田先生を見たのは、先生が板谷進八段とA級順位戦を指された日だった。

 隣で指されたB1順位戦の花村九段VS内藤九段戦の記録係だった私は、夕食休憩の時間が近づいた時に手番であった花村先生にこともあろうに「夕休を取らないでこのまま指しつづけられますか?」と聞いてしまった。

 当時、16歳、4級の私には、その時点で将棋は終わっている様に見えたから気を利かして言ったつもりだった。

 一瞬、対局室の空気が変わったことは当時の私にも分かった。(何故?)

 花村先生は「この将棋はこれからが大変なんだ」とだけ言われた。

 升田先生はにやりとされ「バッカ」と言われた。それが初めてのお言葉だった。

 今、想い出すだけでもぞぉっとする。命を縮めて戦っているとも言われる順位戦の最中に記録係が対局者に向かって投了の催促をした様なものだから。

 だが、その時は、先生の声が穏やかであったから事の重大さに全く気が付かず、この将棋が……。そんなものなのかなぁとただ不思議な気持ちだけだった。

 そして夕休再開後1時間ぐらいで花村先生は投げた。

 私は、なんだ、やっぱり自分の読みが正しかったんだと得意げな気持ちになった。

 感想戦が終わった頃、隣では、板谷先生が残り1時間を切っていて真っ赤な顔をして盤に没頭されていた。局面ははっきり苦しい。

 その時、升田九段が発したと同時に信じられぬ言葉が耳に入ってきた。

 「小僧、早く指せ!!」

ん…、何だ…、今のは……。

 「小僧、早く指さんか!!」

 錯覚ではない。対局者に向かって言っている。信じられぬ光景だった。

 半端ではない貫禄だった。そんな乱暴が許された先生だった。

 対局が終わって直ぐに升田先生に「ぼうや、酒を買ってきてくれんか」と言われルンルン気分で買いに行った。

 一升びんを横に立てグイグイ流し込んでいる姿にしびれた。

 この日のことは一生忘れない。

(中略)

 升田先生の奥様から「主人が空いている日があったら碁を打ちに来てくれと申しています」とのお電話を何度かいただきました。

 私は、偉大なる将棋指し、升田幸三の側に居られる時間がとても嬉しかった。何せ、あこがれの人でしたから、当然でしょ。

 碁を教えていただくのは有難いのですが、先生は口が悪い!!「君は打つ前は大優勢なんだが……」(置碁だから当たり前じゃないか)「打てば打つ程、石が下がる」「くい碁じゃなぁ」

 言っときますが、この程度でめげていては囲碁部の幹事を6年は出来ません(口の悪い真部一男も居る)

 困ったのは、先生は自分で満足のいく手を打った時に手のひらをひらりとかえし、ウィンクをするのである。頭の中に浮かべていただきたい。あの怖い顔でニャッとしながらのウィンクである。この世で余り見たいものではない事だけはお分かりいただけよう。

 私はそれまでウィンクというのは女性からされるものだと信じていた。でも違った。升田先生にさんざんウィンクされたせいか、それが原因ではないだろうが、今迄女性からウィンクされたのは一度もない。

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升田幸三九段、花村元司九段、内藤國雄九段、板谷進八段のいる対局室、考えてみただけでも嬉しくなってしまう。

特に、升田九段、花村九段から放たれるオーラはすごいものがあったことだろう。

一癖も二癖もある、どころではない個性。

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昭和40年代後半の千駄ヶ谷、順位戦の対局が終わった頃の時間に開いていた酒屋はないと思われるので、居酒屋やスナックへ行って酒を買ってきたのかもしれない。

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かなり昔、ウィンクの仕方を教わったことがある。

はじめに右の目を軽く自然に閉じて、

閉じた瞬間に、顔を反時計回りにほんの少しだけ動かす。

そして、すぐに右目を開く。

(左目で行う場合は時計回りで)

私は実生活で活用をしたことはないが、片目だけで瞬きをできるようになった。