村山聖八段(当時)「ひょっとしたら電話がくるかもしれないと思って待っていたんです」

将棋世界1997年4月号、第30回早指し将棋選手権戦決勝「村山聖、初の栄冠をつかむ!!」より。

将棋世界1997年4月号より、撮影は中野英伴さん。

 今年で30回目という節目を迎えた早指し将棋選手権戦。テレビ将棋対局としての放映も今回の決勝戦で1279回を数える。

 その決勝へ勝ち進んできたのは村山聖八段と田村康介四段。バリバリのA級棋士と新鋭四段の対決となった。

 両者の初対決は相矢倉から玉を囲わないうちに中央から戦いが始まる激しい将棋に。田村陣をうまく突破した村山が97手で勝ち名乗りを挙げ、優勝を決めた。

 早指しが得意な田村は惜しくも初出場初優勝の快挙はならず、しかし予選から数えて9連勝しての決勝進出は、噂にたがわぬ”早指し男”ぶりをファンに印象づけたことだろう。

 A級棋士の貫禄を見せた村山は、一般棋戦での優勝は意外にも今回が初めて。これを契機にさらなる飛躍が期待できそうだ。

将棋世界1997年4月号より、撮影は中野英伴さん。

将棋世界1997年4月号より、撮影は中野英伴さん。

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将棋世界1997年4月号、第30回早指し将棋選手権戦決勝〔村山聖八段-田村康介四段〕「爽やかな栄冠」より。自戦解説は村山聖八段(当時)。

―優勝おめでとうございます。まず決勝戦の相手が新鋭の田村四段だったことについてはどう感じましたか。

村山「やはり田村四段が決勝まで勝ち上がって来たのは意外でした。でも四段とはいえ田村君は仲間内でも早指しのプロフェッショナルとして有名でしたので、全く油断はしていませんでした。でもテレビ将棋は1手30秒以内に指す早指しなのですが、田村君は私が指すと間髪を入れずに指して来たのはさすがにびっくりしました」

―本局は相矢倉になりましたが、これは予定通りですか。

村山「いえ、田村四段は中飛車が得意ですので、当然そうなると思っていました。本譜の順は正直意表をつかれた感じです。なお私の▲2六歩は相手が早めに△8五歩と伸ばして来ましたので、棒銀作戦を警戒したものです。この歩を突けば私の方からも攻め合う順があります。もっともこれで田村四段も気が変わったのでしょうか、1図まではまあ普通の櫓戦となりました」

(中略)

―今回の優勝についての感想をお聞かせください。

村山「棋戦の優勝は平成2年の第13回若獅子戦以来ですから、やはりうれしいですね。テレビ棋戦は私も得意な方ですので、また来年も優勝を目指せるよう頑張りたいです」

―そうですね、これをきっかけに一層の飛躍を期待します。ありがとうございました。

近代将棋1997年4月号より。

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将棋世界1997年4月号、先崎学六段(当時)の「先崎学の気楽にいこう」より。

2月某日

 村山君と田村君との早指し選手権戦の決勝を見に行く。その前に新宿で、カレーを食べて、東急ハンズで買い物をしていると、パーティーグッズ売り場に月桂樹の冠とオモチャの金メダルを売っていて、思わず買ってしまった。確かテレビ東京のスタジオでそのままパーティーがあるから、そこで使おうというわけである。我ながら、よくこういうくだらない不謹慎なことだけ思いつくものだ。

 控室にいくとびっくりした。若手棋士の多さにである。それだけこの二人が人気者なのだろう。鈴木大、行方、深浦、中田功、御大滝理事もいたっけ。そこに僕が加わって、遊び人の若手が集まった感じである。

(中略)

 ふと対局者の方を見ると、二人ともうつむいて動かない。日頃は、酒や麻雀で、よくつるんでいる二人だが、日頃の和気あいあいとした雰囲気を容易に思い出せるため、二人の無口に凄みを感じざるをえない。

 やがて収録の時間がやってきた。二人はスタジオに向かうわけだが、村山君の足取りが重い。日頃から体力的なこともあって歩くのは早いほうではないが、勝負の前や最中は、足を引きずるようにして、本当にゆっくりと歩く。エネルギーを倹約しているかのようだ。

(中略)

 40手目から30秒将棋なので、アッという間に終わる。田村君の無理攻めを的確にとがめて村山君の快勝だった。観戦していた大内九段(田村君の師匠)曰く「俺も大雑把だがこんなにヒドくはないよ」。

 表彰式の後、場所を変えてパーティーが行われた。偉い方の挨拶の最中、こっそりと高橋和嬢に冠とメダルを渡す。場がくだけたら無理矢理かぶせてしまおうというつもりだ。清水さん、高群さんを合わせて美女三人に攻められては、さすがの村山君も受けがないだろうという読み筋である。

 乾杯が終わり、宴たけなわになった。さあそろそろ作戦開始と和嬢に合図を送った瞬間、村山君がいった。

「あの……ちょっと用があるので先に帰りたいんですけど……」

 その場にいた若手棋士一同の眼が点になった。

「なんだってえ、か、かえるだとお」

 たしかに村山君の顔色は土色だった。だから無理強いはできない。いや、そのぐらいの顔色は将棋を指した後はいつもなのだが、本当に悪いのかもしれないから。

 本当に一言だけスピーチをすると、さっと帰ってしまった。その間僅か数分。ホンマに用事あるんかと訊いたら、「いや、クリーニングを取りに行かなくてはいけないんで」と答えてさっと身をひるがえした。なんか怪しい。

 主役抜きのパーティーは妙な雰囲気だった。月桂冠と金メダルは和嬢の頭にかかることになった。田村君は唇をへの字に結んで、泣きそうな眼でオレンジジュースを飲んでいる。こんなときにジュースでもないだろうといったら、いきなりボトルを手にとってジュースの上にドボドボ注ぎだした。ウイスキーの方が多いくらいである。体格は立派すぎても、20歳の瞳は純な瞳である。その瞳でじっとこっちを見つめて、ぐいっとグラスを開ける。

「うまいかい」

「いやまずいです」

 誰かが「本当に用があったのかねえ」と呟いた。

 滝先生がそれに答えて、「今頃車の中で大笑いしています。間違いない」といった。

 その声が聞こえたかどうか、田村君が、グラスをあおるのが見えた。

 打ち上げが終わり、滝、先崎、鈴木、田村の4人は、とりあえず麻雀でもしようかと一路千駄ヶ谷へ向かっていた。広島へ帰るためにアパートを引き払った村山君は連盟に寝泊りしている。そこを叩き起こそうという腹である。本当に寝込んでいるならともかく、仮病はつかわせないぞというわけだ。

 近くの雀荘から滝先生が電話した。

「駄目だ、つながらない」

 内線の都合でかからないんだそうだ。僕はちょっぴりホッとした。

 麻雀は田村君の一人負けだった。我々は、明日競馬場で逢おうといって別れた。後日、村山君に会ったら、ひょっとしたら電話がくるかもしれないと思って待っていたんです、といわれた。まったく奇々怪々である。

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体調などのことから広島に戻ることになった村山聖八段(当時)だが、東京から引っ越す直前の2月1日に、早指し将棋選手権戦(テレビ東京)での優勝を決めた。

村山八段は、12月に行われたJT杯日本シリーズ決勝、王将戦挑戦者決定リーグ戦プレーオフで、いずれも谷川浩司竜王(当時)に敗れており、惜しい展開が続いていた。

写真の表情からも、優勝の喜びが伝わってくる。

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「ひょっとしたら電話がくるかもしれないと思って待っていたんです」

気持ちが理解できるような感じもするし、できないような感じもする。

この気持ちは、村山八段にしか説明ができないのものなのかもしれない。