将棋マガジン1990年7月号、羽生善治竜王(当時)の第48期名人戦〔中原誠棋聖-谷川浩司名人〕第3局観戦記「突然の失速」より。
第3局まで
第1局は相掛かり、第2局は角換わりとお互いに先手を持った方が得意戦法で勝ち、まずは無難なスタートだったが、その過程では先に良くなった方が逆転されるという不思議なものだった。特に第2局の△2五桂打はこう言っては中原先生に失礼だが歴史に残る大ポカだと思う。
第3局
1勝1敗で迎えた第3局。
この一局がシリーズの流れを決めるというのはワンパターンなので、少し付け加えると、この一局は中原棋聖にとっては絶対に落とせない一番。これを落とすと一昨年の名人戦と同じになりそうだから。
谷川名人にとっては負けても次は主導権の握れる先手番だから中原棋聖よりは余裕があったと推察する。
それでは第3局の解説に入りたいと思う。
1図、いきなり▲5六飛とまわった局面。
一見、無理筋だが、一手前の△9四歩をとがめようとしている。
中央で戦いになれば端歩が甘くなるという中原棋聖の大局観なのだろう。
谷川名人も76分の長考で△4二玉。この手はこの局面で一番大胆な一手で、潰されてもおかしくない度胸のいる手である。
本局の中で感心した手の一つだ。
そして2図の局面。
中原棋聖の攻めは過激とも思えるが、それが最高潮に達したのが2図。こんな攻めで良くなるとは思えないが、結構うるさい。
「桂馬の高跳び歩の餌食」という格言があるが、この場合はその桂がなかなか取りきれない。
しかし、△9二飛が▲7一角を避けた好手。
次の▲5八玉は一見、落ち着いた好手に見えるが、実際はどうだったか。
結果論かもしれないが緩手だったと思う。
代案としては▲9六歩(参考図)が考えられる。
しかし、この一手は一昨年の名人戦第3局で緩手となった符号と一致する。
もしかすると縁起が悪いと思ったのかもしれない。
封じ手は午後5時30分に手番である方が次の一手を相手に解らないように紙に書き立会人が保管する。
△6三銀は5時15分ごろの指し手。普通なら15分待って封じ手にするところだ。
3図は手の広い局面なので、15分では手が決められない。
こういう不安定な状態では悪手が出やすい。
封じ手を巡って色々な駆け引きがあるようだ。
二日目に入り、指し手が早く進む。初めての長考で△6二角とした所で中原棋聖の指し手が止まる。
4図の一手前、▲7二歩まではお互いの読み筋だと思うが、中原棋聖は△6二角を軽視していたのではないか?そして、60分の長考で自分が苦しい事を自認して粘りへと方針を180度転換したような気がする。
4図から谷川名人は着実にリードを拡大して行く。
しかし、注目すべき点は中原棋聖の粘りだ。
相手に決め手を与えず、チャンスを待っている一流の芸だと思う。
それが谷川名人の悪手を誘発する。5図の△3七桂打は効率が悪すぎた。
もっとも冷静に見れば悪手と解るが、1図の辺りから常に危険を背負って神経をすり減らされてきた状態がこの焦りを生んだのだと思う。
もっとも形勢はまだ谷川名人の方が良いと思うのだが……。
そして、6図の▲7六桂で完全に流れが中原棋聖の方に傾いた。
得意の入玉コースが開けてきたのである。
谷川名人にとっては一番嫌な展開になってしまっただろう。
しかし、形勢が接近してきたので控え室の検討に熱が入りだしたのだから皮肉なものだ。
以下、入玉模様のゴチャゴチャした動きがあって7図。
この局面で△8三銀打が敗着で、単に△5七桂成としていれば勝敗はどう転んだか解らないだろう。
この後は中原棋聖の勝ちは動かないようだ。
感想戦にて
名人戦の感想戦を見るのは今回が初めて。
勝った中原棋聖はさすがに嬉しそうだった。
負けた谷川名人は表情はあまり変わりないが、さすがにこの敗戦はこたえたと思う。
あれ程優位であったのにまさかの逆転負け。悪夢を見ているようだったと思う。
感想戦で発見したことは中原棋聖は意外に楽観的なこと。
5図の周辺は私はかなり苦しいと思っていたが、中原棋聖は結構大変と思っていた感じなのだ。
もう一つは、谷川名人が何かはぐらかすような発言を一回しなかったこと。「入玉を必要以上に恐れたのではないですか?」
の問いにも「ええ、それが私の悪い癖です」と答えていた。
普通、こういった自分の弱点を棋士は絶対に口にしない。
何か適当に誤魔化すものだが(棋士は特にそういったことに長けている)。
今後の展開
中原棋聖にとってはこの一勝は値千金だったろう。
しかし、谷川名人も気分転換の上手な人だから、第4局以降後遺症は全くないだろう。
私はどちらが勝っても4勝2敗と予想したが、本局を見た限りでは一筋縄には行かない気がするので、どちらが勝っても4勝3敗に変更したくなってしまった。
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指し手や変化の細かい解説はないのだけれども、雰囲気や形勢の流れが的確に把握できて、ポイントが押さえられた非常にわかりやすい観戦記となっている。
羽生善治竜王(当時)が考えたこと、感じたことをそのまま率直に文章にしているからだと思う。
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将棋世界1990年7月号、先崎学四段(当時)の第48期名人戦第3局現地レポート「敗因が分からない」より。
形勢は谷川が良かった。
現在の局面の周辺を一通り解説して、おれが言いたいほうだい言った(少し反省してます)あと、解説役として壇上に上がっている島が、前に座っているぼくたちに向って、
「この局面から、君達が谷川名人の方を持って指したら、持ち時間が何分あったら勝てますか―?」
と訊いた。
「六時間あれば……」
と、まず森内が答えた。これくらいに答えておけば無難である。この答は森内の謙虚な性格をよく表している。まあ本音かどうかは分からない。
だが次の羽生は凄かった。
「二十分あれば、80%は―」
と、一言のもとに言った。このようなことを滅多に言わない彼のこの一言は、この将棋を葬りさるだけの迫力があった。終わったな、と思った。
その将棋が逆転した。しかも谷川にこれといった悪手もなく、中原に目を見張るような好手もなかった。ありきたりの手をお互いに拾って、最後に勝ったのは中原だった。何故だ―。
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羽生竜王が「20分あれば……」と答えたのは、4図~6図の間の局面だったのだろう。
島朗前竜王(当時)の「この局面から、君達が谷川名人の方を持って指したら、持ち時間が何分あったら勝てますか」はとても面白い質問だと思う。