山口洋子さんのエッセイ「酔ってくだん(九段)のごとし」

作家で作詞家の山口洋子さんが9月6日に亡くなられた。享年77歳。

「よこはま・たそがれ」など作詞 山口洋子さん死去(NHK)

将棋世界1990年9月号、作家の山口洋子さんのエッセイ「酔ってくだん(九段)のごとし」より。

 ときおり強烈に思い出す人が居る。

 芹沢博文九段だ。

 はじめてお会いしたのはTV局。わりと早めの、といっても昼頃の番組の控え室の一隅だった。

 「そうだなぁ、ま、小さな酒屋なら楽に一軒は飲んじゃったでしょうなぁ」

 そんなことを淡々と話しておられた。

 「でもあなた、あの酒の禁断症状というものはひどいもんですよ。病院のベッドに寝ているとね、足もとに小人がトコトコ歩いてくる、そいつが宙にとんだと思ったらすごい虎みたいな大猫が枕もとにいてね、フーッと背中をまるめるや、こっちを狙っているんだ」

 「それ、はっきり見えるんですか?」

 「ああ、もうありありとね」

 それじゃまるでフェリーニの世界じゃないですかといいかけて、言葉を呑んだ。あまりにも他人ごとのごとく、半分笑いながら言っておられるからだ。だからこの話は、よけい真実味を増していた。

 「それじゃ、また」

 「いずれ」

 立ちあがって帰りがけに、ふと私の小説の一節に触れられた。まさか読んでいただいているとは思わなかったので、細部の説明を求められて絶句した。

 「女って・・・・・・そういうものかな、うん」

 自分でそう言って独りごとのように頷いて、「でも、またわからないところがあったら手紙でも出しますよ」

 そのとき『九段の下、八段の上』とかいてある白扇を頂いたが、これを受けて『酔ってくだん(九段)のごとし』とお返しした。これはいまでも、我ながら気にいっている返歌である。

 そんな出会があったあとすぐ、何かの雑誌の自分の好きな作家という欄に、山口洋子と書いていただいているのを見つけた。

 たまたまそうした企画があると、普段本当に読んでいるかどうか判りもしない小難しい学術書か、海外の作家の名前をあげる人が多いなかで、私の名前を堂々とかいて下さるのは勇気のいることじゃないのか、そんな気がした。

 (彼女の文体は渇いて、男の文体だから好きである)みたいな感想文も添えられていて、かなりな読み手であるという芹沢氏のことも噂でお聞きし、私は得意になるより先に恐縮してしまった。

 それから小説を書くあい間に、氏の言葉を思い出したり、その欄をもう一度めくってみたりしていた。

 約束通り、一度ならずお便りも頂いた。

 いずれもどうして作家になられなかったのかと思うほどの説得力と、リズム感のある名文であった。

 そんなある日、「禁酒を解く会」という変わった主旨の案内状が送られてきた。そういうと、TV局でお会いしたときは、禁酒中とおっしゃっていたっけ―場所は日比谷の松本楼であった。

 作家の色川武大さんや有名な競輪の選手など、幅広い交友を思わせる知名人が会場に溢れていた。

 実をいうと私は、将棋の世界にはまったくうとい。将棋といわず囲碁もだめで、ついでに麻雀、ポーカー、およそそうした類のものには全く無縁、無趣味。

 当然駒の並べ方も判らず、たまたま会場のまん中に置かれてあった立派な将棋盤を、ぼんやり眺めていた。眺めているだけではつまらないので、誰れか初歩のルールでも教えてくれないかなと、周りを見回した。と、眼があった方がとても優しそうな紳士なので「ね、おねがいします」というと、「はいはい」と気軽にお引き受け下すった。「これが歩で、これが香車、で飛車と角はこういう風においといて、と」

 「・・・・・・はぁ、はい」

 その教えかたがあまりに丁寧で上手なのに感心していたら、かの有名な中原名人だと側に居た山東昭子議員に教えられて、顔から火が出る思いがした。全く素人以下の人間というのは何をしでかすかわからない。

 その席での芹沢氏は片手に盃、片手にワイングラスを持って、上機嫌であった。

 「大丈夫ですか」

 照明のせいか、やや青白くみえる氏の表情に、思わず声をかけた。―またフェデリコ・フェリーニが出てきやしませんか?

 その後対談や何かで二、三回お目にかかる機会があったが、なぜかそのころはいつもシャブリ持参。紙ぶくろに入れた壜をどんとテーブルの上におき、「おい、グラスを持ってきてくれ」だった。

 なぜシャブリなのかなと思いつつ、いつか氏が愛飲絶賛されていた”八海山”という酒が手に入ったので、それをお送りしたところ、すぐに返事をいただいた。

 知人が死んで、うらうらと昼下がりの陽をあびながら八海山をチビチビやっているという、一種の気怠さを漂わせた、まことにいい内容の文章が、生真面目で達筆な文字で書かれてあった。便箋二枚。

 ―数日後(いや数ヶ月後か)、突然訃報を聞いた。

 そのとき私ははじめて気づいたのだ。

 真の勝負師というのは、対戦相手の駒と勝負するのではなく、己れの人生を盤の上に張って勝負をしているのだ、ということに。

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山口淑子に続いて山口洋子さんの訃報が報じられた。

昭和という時代が遠のいていく……

合掌