昨日の記事に、なんと銀遊子さんご本人からコメントをいただいた。
「銀遊子」は、片山良三さんのペンネーム。
片山良三さんは故・花村元司九段門下。奨励会を退会後、将棋世界などで文章を書き、1987年からサンケイスポーツに入社。武豊騎手の初代番記者となって、現在はスポーツライターであるとともにゼンノマネジメントでレーシングマネージャーを務めている。
→片山良三さんプロフィール&記事一覧(Number Web)
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(片山良三さんからいただいたコメント)
懐かしい記事を読ませていただきありがとうございます。銀遊子こと、片山良三と申します。銀遊子というペンネームは、奨励会時代からお世話になっていた山本直純さんにいただいた名前でした。吟遊詩人から、とおっしゃっていましたが、当時はなんのことやらわからず、阪田三吉の「銀が泣いている」に似た雰囲気だからいいか、ぐらいの気持ちで使わせてもらっていました。
のちに私は競馬の世界に入り、ザミンストレル(The Minstrel)という名馬がいたことを知ります。その名がまさに吟遊詩人という意味だったことがわかって、直純さんの博識を今更のように思い知ったという思い出があります。
「駒音コンサート」を企画、実行して棋士と音楽家をつなげる役割を買って出てくださった山本直純さんでしたが、若くして病に斃れ、今年が13回忌だったはずです。
すみません。懐かしさのあまり、脱線してしまいました。
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「銀遊子」の名付け親が故・山本直純さんとは、とても意外で面白いエピソードだ。
一昨年の将棋文化検定2級の問題にも登場した山本直純さん。
「銀遊子」という名前を初めて見た時、私は若手女性演歌歌手のような名前だなと思ってしまったのだから、私の頭の中にはロマンのかけらもないのかもしれない。
それはさておき、片山良三さんの名前で書かれた観戦記は絶妙なものばかり。
銀遊子の名で書かれたものでは、スカ太郎さんも絶賛の、
がすごい。
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以前にも書いたことだが、1990年8月に函館で起きた「点のある・ない論争」の場に、中村修七段(当時)、郷田真隆四段(当時)、先崎学五段(当時)と一緒に居合わせたのが片山良三さんだった。
先崎学五段は、片山良三さんはハルク・ホーガンにちょっと似ていると書いている。
いつの日か、片山良三さんの目から見た「点のある・ない論争」も読んでみたいものだ。