森内俊之八段(当時)「まあまあ、佐藤先生が」

将棋世界2001年6月号、鈴木輝彦七段(当時)の「棋士それぞれの地平 神の領域に挑む男 佐藤康光九段」より。

 今回の佐藤康光君は、この対談の中でも切り札的な存在である。どんなに回数が嵩んでマンネリになったとしても、彼が出てくれれば、と思ってきた。それだけ万人の胸を打つ生き方を貫いていると考えていたからだ。

(中略)

 よく話をするようになったのは、森内俊之君と麻雀の研究会を打つようになってからだ。3人とも、B2に居たときだから随分経つ。どちらともなく「今度しっかりした麻雀を教えて下さい」と頼まれた。これが将棋でないのが情けない。以来、年に3、4回朝の10時から深夜まで打った。

 思い出として強く残っていることは2つある。1つは森内事件。森内トップの終盤に佐藤リーチ。私が打ち込まないよう回しながら、森内君はベタ降り。森内君が”中”を2枚打った所で私がテンパイした。危険牌を打てば中の地獄待ちになる。森内君は3枚切りと睨んでいた。私は中で待ち、2巡目に森内君が打牌した。ハネ満で大逆転だが、ここから5分間中断する。森内君の嘆きが続く。「この筋は植山(悦行)さんに食っているのに」等々。佐藤君は無言。私は、必勝の将棋をトン死させたような気分でなぐさめる言葉もなかった。

 勝負に辛い森内流に、ついに佐藤君が言った。「そんなの仕方ないじゃない。打ったんだから」と。逆に、森内君の反省が理解出来ないようだった。これは2人の勝負哲学が出ている気がした。

 2つ目は、3年前の3月。佐藤君は4月からの名人戦の挑戦者に、森内君は全日本プロの決勝に出ていた。夜に場所を変えて高田馬場の初めての雀荘だった。珍しく佐藤君が一人負けで終わった。積んであった雀代が4千円残った。「これは佐藤先生に」と私が言うと、「これは3人で分けましょう」と佐藤君。「まあまあ、佐藤先生が」と森内君も言う。普通なら「そんなに言うなら」となるけれど、ここからが頑固である。結局、鈴木、森内が折れて、千円ずつ頂いた。

 もし、名人になれたら、この千円が大きいな、と私は感じていた。

(中略)

 名人経験者に佐藤君と呼んでは失礼になるが、十代の頃から知っているので、今更照れくさい気がして”さん”とは呼べないでいる。それはともかく、彼と会って嫌な気持ちになったことは一度もない。それどころか、話をすると必ずさわやかな気持ちにさせてくれる。人柄といってしまえばそれまでだが、何か違うような気がしている。私にも友人はいるが、彼のようなタイプはいない。彼を振ってしまうような女性がいるとは信じられない(これを書いてはいけないと言われたが)。

(以下略)

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自分が3枚持っている字牌、ベタ降りをするためにこれを捨てて、ほとんどの場合はそれで当たられることはないのだが、2枚目まではセーフだったものの3枚目がアウト。

ベタ降りしている立場から言えば、これはかなり衝撃的なことであり、なおかつ直撃されてトップではなくなったのだから、目の前が真っ暗になるような出来事だ。

とはいえ、これは自分の家の屋根に隕石が直撃してしまうような滅多にない災難。

割り切ろうと思えば割り切れることだが、戦術的な面も含めて反省をする森内俊之八段(当時)。

森内俊之流と佐藤康光流の違いが描かれていて面白い。

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二人の勝負哲学の違いが表れたケースは過去の記事でも取り上げている。

森内俊之九段と佐藤康光九段の勝負哲学の違い

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鈴木輝彦八段の将棋世界での連載「棋士それぞれの地平」は単行本化されている。

棋士だから引き出せる棋士の本音。読み応えのあるお勧めの本です。