息抜きをすすめるのが罪、と思わせるような存在

昨日の29日付の日本経済新聞の『春秋』に、羽生善治二冠とイチロー選手のことが取り上げられている。

羽生二冠の王座戦連覇の記録が「19」で止まったこと。二重写しになるのが、米大リーグで毎年200本以上ヒットを打ち続けてきたイチロー選手の記録が「10」で途切れること。

「記録はいつか途切れる。途切れてこそふたりの輝きが増す。身勝手なファンはそう思っている」で結ばれている。

春秋

羽生善治二冠とイチロー選手の共通点、について2002年に書かれた文章がある。

将棋世界2002年10月号、片山良三さんの第43期王位戦第3局(羽生王位-谷川九段)観戦記「これからの10年」より。

片山良三さんは、 元サンケイスポーツ記者で現在はスポーツジャーナリストで、元奨励会員。

 競馬の武豊騎手と将棋の羽生の「天才対談」が、あるスポーツ紙の企画で実現したことがある。羽生が7冠独占を果たす少し前のことだったので、二人とも20代半ばの、今以上に勢いがあった頃だ。その中で羽生は「20歳を過ぎたあたりから、記憶力ははっきりと落ちてきています」と発言して、対談相手の武を含む、同行したスタッフを全員シーンとさせてしまったという。

 そのときたまたま用事があって武の自宅に電話を入れたら、大事な対談中なのに本人が出てきて、「いま、羽生さんが家に来ているんですよ」と言う。そのあと、にわかに小声になって、「共通の話題がつかめません。助けてくれませんか」と来た。いまでこそ各界のトップと交流を深めて、どんな対談でも平気でこなしてしまう武豊なのだが、羽生という将棋の天才との交流は、順応能力抜群の彼にとっても未体験の「違和な存在」だったようだ。無理もない。羽生が将棋界に猛スピードで築いてきた実績は、その将棋の内容を理解できる人でないと実感としては伝わってきにくい。「こんな凄い手を指せる人は、普段どんなことを考えているのだろうか」という興味がわいてこそ、棋士との対談は盛り上がるものだと思うのだ。武豊と羽生の最初の出会いは、残念ながらすれ違いに終わったようだった。

 しかし、ずっとあとになって武豊から興味深い話を聞くことができた。

「いろいろなジャンルの、すごい人たちとたくさん知り合いになることができました。初対面の方との対談の終わりには決まって、今度はボクが乗っている競馬場にも見にいらしてください、とお誘いするわけですけど、そうは言えなかった方が二人だけいるんです。野球のイチローさんと、将棋の羽生さん。どちらも、その世界のさらに高いところを極めようとしているのが、少しお話をしただけでもビンビンと伝わって来たので、息抜きに競馬を、などと気安く誘ってはいけないと感じたわけです。この気持ち、わかってもらえたのかどうか」

 武豊が体感した不思議な感覚を、筆者はすぐに理解できた。なぜならその感覚は、選りすぐりの少年たちが棋士を目指して全国から集まってしのぎを削る奨励会においても、古くから綿々と受け継がれているものだからだ。

 自分以外は全員がライバルなはずなのに、「こいつは将来の将棋界を背負って立つ男」と稀有な才能を認めた相手に対しては、その芽を潰してしまおうなどとは考えない。年頃の少年たちのことなので、将棋以外にもギャンブルや酒など魅力的な脇道はたくさん用意されているのだが、「名人候補」と認められた人間にはそうした誘惑がなぜかかからない。谷川浩司がそうだったし、羽生善治ももちろんそう。古くは中原誠も、入会して半年もしないうちに、周囲から自然と別格扱いをされていたと伝えられている。

 現代のニッポンの天才は野球のイチローと競馬の武豊、という説があるが、筆者はこれに将棋の羽生を加えて、日本が世界に誇れる三大天才であると提唱したい。「息抜きをすすめるのが罪、と思わせるような存在」が天才の名に値する絶対条件。

(以下略)

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息抜きをすすめるのが罪、と思わせるような存在。

インパクトのある言葉だ。

「巨人の星」の星飛雄馬のような、ストイック過ぎて声をかけづらいようなタイプでは決してなく、柔和で温和な雰囲気を持つ羽生二冠がそうであることがすごいことだと思う。