森内俊之三段(当時)の苦行

将棋世界1987年6月号、駒野茂さんの「関東奨励会レポート」より。

 四段の最右翼と言われながら、いつの間にか櫛田、佐藤に抜かれてしまった森内。しかし、このまま黙っている男ではない。佐藤の勝ちっぷりの影になってしまっていたが、その間も白星を着実に重ね、4月13日の例会第1局目を勝った時点では12勝4敗になっていた(注=この12勝4敗は、前に取った12勝4敗の星も含んでおり、2度取ったことにならない)。

 対戦相手は先崎。だが、彼は調子が悪そうだ。将棋ではなく体調の方が。目の下にクマのようなものもある。陽気の変わり目からかよほど寝苦しい夜を過ごしたのだろう。そしてしきりに

「いやぁー、疲れましたよ」と言い、グダーとした表情をしている。16歳の年齢からして、とても想像できぬオジサンぶりなので、ここは一つ”活”を入れるつもりでこう言った。

「なんか、生まれた時から棺桶に足を突っ込んでいるような、そんな顔してんじゃぁないの」と。さすがにこの言葉にはカチンと来たか、表情が厳しくなった。

 そして先崎-森内戦が戦われ、どういう結果になったか? 結果は先崎の勝ち。”天才”と言われていた男が意地をみせた、と言うべきか。

 将棋が終わった時の表情は、先程とは打って変わっていい顔をしている。やはり勝てば変わるのである。

 反対に森内。滝幹事が、季間成績優秀者の賞金を該当者に配っていて、先崎にも森内にも手近な所に置いて行った。先崎はすぐにそれをしまったのだが、森内は一向に手を出さなかった。

「俺が手にしたいのは、そんなものじゃあないんだ」こんな気持ちを感想戦の盤上に叩きつけていた。

 しかし、これでめげてはいけない。後2連勝という目(12勝4敗を2回)があるのだから。

(中略)

 4月23日に行われた例会で、森内は第1局目を高田三段に勝ち、再び昇級の一局を迎えた。

 対戦相手が小池二段。彼も三段への昇級の一番で、この一戦ははた目で見ても血の匂いがする。そんな感じが漂っていた。

 この模様は次月号で詳しく解説いたします。

—–

この当時の三段から四段への昇段規定は、9連勝、13勝4敗、8連勝2回、12勝4敗2回(ただし12勝4敗者が昇段の一番を負けた後3連勝すれば昇段)。

森内俊之三段(当時)-先崎学三段(当時)の戦いは、森内三段が13勝4敗となるかどうかの昇段がかかった一戦だった。

—–

将棋世界1987年6月号、駒野茂さんの「関東奨励会レポート」より。

 昇段を賭けた者同士の一戦を、ご覧いただく。

 森内三段-小池二段戦の終盤。

 1図。この局面では森内、すでに秒読み。

森内小池奨励会1

「30秒…」

 静寂な対局室の中を、秒を読む声だけが響き渡る。

 この時、森内の頭の中にある筋が浮かぶ。

「40秒…」

 小首を傾げ、「これで本当に勝ちなのか」と、口には出さぬが、敵陣に、そして自陣にも目を配る姿勢でそれが分かる。膝の上にのせた手も、緊張からか微かに震えている。

「50秒…1、2、3、4、5…」

 秒読みが、悪魔の囁きに聞こえてならない。

 森内はこの声がした時、「今まで読んでいた筋が、駄目では?」と考えてしまう。そして、安全そうで、かつ、寄せの狙いを含んだ手に切り換えようとしてしまう。

「…6、7、8…」

 決断の時が迫る。森内は駒台の上のある飛車をガバッ、と鷲掴みにして、「…9」の声とほとんど同時ぐらいに盤上に叩きつけたのだ。▲6一飛と。

 だが…、この瞬間、森内から勝運というべきものが遠ざかって行ったのである。

 1図での正解手は、森内が最初に思いついた▲1三馬と切る手であった。これは△同香と取る一手。そこで、▲4一飛と打つのだが、この時に△7八銀と打たれて詰まされてしまう。そう森内は読んでしまったのである。

 森内の指し手はここから乱れる。

 本譜▲6一飛以降、森内に勝ち筋がない訳ではなかった。しかしそれらの筋を冷静な気持ちで見出せる、心のゆとりを失ってしまったのである。

 終局間近―。ハッキリ勝ちのない局面で、王手を掛け続ける森内。このまま掛けられるだけ掛けるのか、そう思って見ているとハタッと手が止まる。

「40秒…」

 もう盤上に視線はない。夢遊病者の如く、体を揺さぶっている。目元にはうっすらと光るものもある。投げきれぬ思いが、声帯を、そして涙腺までも故障させたのだ。

「50秒…1、2、3、4、5…」

「負け…ま、した」

 切れるような声であった。

 勝者と敗者。これがハッキリと分かれる瞬間である。

 勝者の小池には、三段という一つの大きなものが心に刻まれた。

 だが―、負けた森内には、身も心もきざまれた、その思いが残っただけであった。

(中略)

 四段昇段の一番を敗れること3度。並の精神力ならば、今までの上がり目を完全に潰しているだろう。

 それを何事もなかったように継続する。それが森内の恐るべきところなのである。

 5月13日。この日も一局目を田畑三段に勝ち、4度目のチャンスを迎えていた。

 対戦相手は北島三段。

 覗くと、こんな局面であった。

森内北島奨励会2

 ここから、北島がとんでもない手を指したのだ。

2図以下の指し手

▲5四桂△3四角▲6五飛成△同飛成

 ▲5四桂はヒドイ。3四金を取られて「ギャーッ」としたと言うがその上、6一飛にも当たっては手の施しようがない。

 △6五同飛成以下は、いくばくもなく森内の勝ちに終わった。

 これまで、苦しき思いをしてもなかなか勝ち取れなかったものが、すんなりと自分の手中に収まったのだ。

 負けても負けても勝負を捨てず、上がり目を潰さないよう踏ん張った森内の、我慢の勝利、昇段と思う。

 それゆえに、勝ち取ったものはより深く、心に刻まれるであろう。

(編注…森内の昇段は、12勝4敗を2回とっての昇段)

—–

森内俊之三段(当時)でさえこれほど苦労した四段昇段。

上がり目を潰さない精神力は並大抵のものではなかっただろうし、上がり目を維持し続けたからこそ幸運なことも時には訪れる。

森内竜王が高校1年の3学期から高校2年になった5月までの頃のこと。

棋士は、このような若い頃から、勝負での修羅場や苦行を何度も経験していくわけで、そう考えると、あらためて凄いと思う。

—–

森内三段が、三段リーグ復活以前の最後の昇段者。

三段リーグ制に移行される段階で、順位には反映されるものの、それまでの勝ち星などはゼロクリアされるわけで、本当に最後の最後のチャンスで森内三段は昇段を果たしたと言えるだろう。

復活一期目の三段リーグでは、中川大輔三段(当時)と先崎学三段(当時)が四段昇段している。