佐藤康光5級(当時)の軽い捌きと手厚い好手

近代将棋1983年5月号、東和男五段(当時)の「駒と青春」より。

 今迄は、おそらく平手の将棋がほとんどであったろうと思います。

 奨励会に入る前、アマとして指していた時に仮に手合割制で対局するとしても、やはり平手の対戦になるように組まれることが多かったはずだからです。

 それが奨励会に入会したとたんに香落が7割程も占めてきます。昨年秋の新入会員は7人でしたが、その7人に限ったことではなく新しく入った者はこの香落にしばらく手を焼くことになるでしょう。

 そして、それだけ比重を占めているものですから、必然的にそれに強くならなければ勝ち抜いてはいけません。香落という名の食べ物を消化して吸収できなければ生きていけない所が奨励会、といえます。

 12月、1月、2月、と57年度の入会者はまだ3ヵ月しか経っていませんから、現在香落に戸惑っているところと想像します。今日は、その新入会同士の香落戦にスポットを当ててみました。

1983年2月16日 於 関西将棋会館
香落
上手 5級 佐藤康光
下手 6級 井村励児

△3四歩▲7六歩△4四歩▲2六歩△3三角▲2五歩△1二飛▲1六歩△4二銀▲1五歩△6二玉▲4八銀△7二玉▲6八玉△8二玉▲7八玉△7二銀▲5八金右△5二金左▲4六歩

問題の手順

 上手の佐藤康光5級は、入会時は井村励児6級と同級だったのですが、奨励会に参加して初っぱなに6連勝して5級になっています。

 1969年生まれで今13歳。中学に通いながら師匠(田中魁秀七段)の開く将棋教室へ行き腕を磨いているとの事。

 同門の兄弟子に聞けば、その教室で彼にかなうアマチュアの人はいないだろうと言っていましたから、彼の実力がアマでならどれくらいのレベルか推測して頂けるかと思います。

 井村6級は、1966年生まれの16歳。以前でしたらこの年令でも早い方だったのですが、最近では佐藤5級を例にとってもわかるように中学在学中での入会が普通になっています。

 それは1981年度から規定が改められて、それまでは30歳迄に四段の年齢制限だったのが25歳迄に、となったためで、少しでも年若く入会する方が有利だからに他なりません。

 尤も、最終的には本人の将棋に対する気持ちが問題ですから、年令だけみて将来を占う訳にはいきません。年が若いだけでダラダラとやっているのでは意味が無いのですから。

 さて、1図は上手佐藤5級の1二飛型に下手井村6級がふつうに駒組みをして互いに王様を囲った所。

 一見何の変哲もなく、正しい手順で組み上げたかに見えます。が、佐藤5級の△3三角、対する井村6級の▲2五歩にはそれぞれ問題があります。

 ▲2五歩では、▲1六歩△1二飛▲1五歩△4二銀▲4八銀△4三銀▲1七桂(参考A図)と指すべきで、この形は奨励会時代私も数局上手を持って戦った経験がありますが、かなり上手のつらいワカレです。

 ですから、この変化が苦しいので上手は手損でも一旦△3二飛と振り、下手に▲2五歩と突かせて後に△1二飛とするのです。

 これは、香落ではもう常識の部類で、佐藤5級の△3三角は▲1七桂を誘ったものとも考えられますが、たとえそうだとしても下手は桂を跳ぶべきでした。尚、参考A図以下は、機を見て▲2五桂から▲1三桂成△同飛▲1四歩△1二飛▲1三歩成△同桂▲1四歩の攻めで下手良しになります。

1図以下の指し手
△4三銀▲4七銀△5四銀▲5六銀△4二飛▲1四歩△同歩▲同香△1三歩▲同香成△同桂▲1四歩(2図)

5四歩が自然

 下手の▲4六歩(1図)に、上手は△4三銀としましたが、ここは△5四歩と突いて▲4七銀なら△5三銀▲5六銀△6四歩と指す方が自然です。△5四歩と突いた形が5六の銀に圧力をかけて、下手が容易に4筋から仕掛けられなくなりますから。

 本譜は△5四銀▲5六銀と対抗する形にしたため、常に▲4五歩の仕掛けを注意しなければならなくなっています。

 △4二飛は、その意味ですが、すかさず▲1四歩△同歩▲同香と端を攻められてハッキリ上手が損をしているのがわかります。この△4二飛では、△4三金とすれば一応下手からの仕掛けを封じていますが、形が重いので香落上手としては指しにくかったようです。

 いとも簡単に端から仕掛けた井村6級ですが、△1三歩▲同香成△同桂に▲1四歩と打ったのは疑問。▲1四歩では、定跡が教えるように▲1八飛△1二飛▲1四飛(参考B図)と指せば下手の指せる将棋でした。

2図以下の指し手
△1二飛▲2四歩△同角▲4四角△2五桂▲同飛△1四飛▲1五歩△同飛▲同飛△同角▲1一飛△5一角▲2二角成△2八飛(3図)

軽いサバキ

 ▲1四歩として、△1二飛に▲2四歩△同角▲4四角と決戦に出ますが、これでは下手に成算のない戦いです。▲2四歩では、まだ▲3六歩とジッと突いておく方がまさると思いますが、それとて下手を良くする具体的手順まで結びつきません。

 △2五桂と捨てて△1四飛。これが軽いサバキでした。この手で上手が駒得を活かそうなどと考えるとおかしくなります。

 対して、井村6級は▲1五歩と応じましたが、これは悪手といえます。ここですぐ飛交換して一直線に3図迄進めてしまってはダメです。△2八飛と打たれた3図の局面からは、下手方90%勝てません。

 ▲1五歩では、まだしも▲1七歩と辛抱するところです。以下、△1五飛なら▲2七飛△1六歩▲2二角成△1七歩成▲同桂で、もし△2六香とくれば▲同飛△1七飛成▲2五飛△1六竜▲2九飛△1八竜▲2五飛と千日手に持ち込む腹づもりです。

 形勢に利のある上手は必ず手を変えてきますから、そこで勝負に出る方が得策でした。

(中略)

4図以下の指し手
△7四桂▲7七馬△7五銀▲3一飛成△6三金▲4五歩△6五銀▲同銀△同歩▲5五銀△5四歩▲6四香△5五歩▲6三香成△同銀▲4二金(5図)

シッカリした受け

 △7四桂と打ち、▲7七馬に△7五銀としたこの2手が実にシッカリした受けでした。

 手厚い好手とはこの事をいうのでしょう。

 次に△7六銀▲同馬△3三角がありますので下手▲3一飛成ですが、佐藤5級△6三金から△6五銀と駒を捌いて好調です。

 これで手順に6筋の歩がのび、先程打った7四桂と7五銀が下手玉のコビンをにらんで急所に利いてきました。先程△7四桂と△7五銀を好手と言ったのは、この構想が素晴らしかったからです。

 自陣に適当な受けもなく、井村6級は▲5五銀~▲6四香で上手陣を薄くし、▲4二金(5図)と必死の抵抗ですが、いかんせん駒損が大きすぎます。逆転を望むのはまず無理な局面です。

5図以下の指し手
△同角▲同竜△7二銀打▲9七角△8五金▲7五角△同金▲8四桂△7六香▲7二桂成△同銀▲7六馬△同金▲8五銀△8六桂打▲8八玉△7九角▲同金△同竜▲9七玉△8八竜(投了図)まで、99手にて佐藤5級の勝ち

 佐藤5級は、アッサリ△4二同角と取り、▲同竜にガッチリと△7二銀打。これで角1枚の下手は手の出しようがありません。

 ▲9七角と打ち、△8五金に▲7五角と切って▲8四桂と跳んだのは、せめて一太刀といった手ですが、上手に平凡に応対されて、以下きれいに寄せられてしまいました。

 この将棋、初めにいったように序盤での△3三角▲2五歩の2手と、下手が仕掛けた後の▲1四歩に問題が残ります。

 上手の△3三角に対して下手が▲1七桂とする攻めを選ばなかったのを、この指し方の奇襲敵要素を嫌った、と仮定しても、端から仕掛けた▲1四歩(2図の局面)の方は罪は大きいといえます。

 ここで▲1八飛~▲1四飛(参考B図)とする感覚は、香落の基本も基本、序の序といえるからです。冒頭に、香落に戸惑っているだろう、とは述べましたが、必要最低限の知識は入会前に覚えておかなければなりません。戦うのは、それからの事です。

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佐藤康光5級(当時)の2図からの軽妙な捌き、4図からの手厚い指し回し、が非常に印象的な一局。

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本来は△3二飛として▲2五歩を強要(▲2五歩としなければ石田流に組むよという強要)し、それから△1二飛と回るところ、ダイレクトに△1二飛。

これは、佐藤康光九段創案のダイレクト向かい飛車の思想(それまでは△4二飛と一時停車してから△2二飛と回っていたものを、ダイレクトに△2二飛)に通じるものがある。

まさに、三つ子の魂百まで。