谷川浩司名人(当時)の気概、塚田正夫名誉十段の気概

近代将棋1988年2月号、湯川博士さんの「書評エッセー」より、山本亨介さんの「将棋とっておきの話」がテーマ。

 棋士とのつきあいを通して書いたものでは、塚田正夫と谷川浩司の、金銭感覚を描いたものが興味深かった。

 塚田は酒好きで有名だが、割り勘で飲んでおごらないというのも知られている。

 ある夜、山本氏が勘定を払おうとすると、「冗談言っちゃいけませんよ。後輩に払わせちゃ、塚田の名がすたりますからね」と江戸っ子らしく歯切れよく言って、山本氏の手を払いのけた。

 ではどうして仲間とは割り勘で飲むかたずねた所、「仲間は競争相手、負かしたい相手ですから」と答えた。

 あの塚田正夫が人に酒をおごらない、割り勘で飲むとはちょっとヘンだなと思っていたので、このエピソードを読んで納得できた。

 谷川浩司のは、ある出版社の取材で、東京へ来たら一泊してもらえないかと頼み、「NHKの対局ついでがあるからOK」の返事をもらった。ホテルは出版社で用意すると申し出ると、「NHKの方で手配してくれますから結構です」との話。ところがNHKの担当者に聞くと宿泊の手配はしていないと言う。

 NHK対局後、谷川本人にたずねると、「赤坂プリンスを(自分で)とっています」というではないか。

 若い名人の気概を知る話だ。

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”日本一の攻め”と言われた故・高島一岐代九段は、飲んだ時は勘定を全部自分で持たなければ気が済まない棋士だった。

塚田正夫九段(当時)は、この高島一岐代八段(当時)と高島八段の地元である大阪で飲んだ時でさえ割り勘にしたというから、その方針は徹底している。

高島八段はこの時かなり腹を立てたと言われている。

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1983年3月17日、赤坂プリンスホテルに40階建ての新館がオープンした。

この年の名人戦〔加藤一二三名人-谷川浩司八段〕第1局は4月13日から赤坂プリンスホテル新館で行われた。

谷川浩司八段(当時)にとって初めてのタイトル戦出場の1局目。

谷川八段はこの第1局に勝ち、また七番勝負も4勝2敗で名人位を獲得している。

それ以来、谷川浩司九段の東京での定宿は赤坂プリンスホテルとなった。

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ちなみに、当時の将棋世界によると、この時の名人戦第1局2日目の関係者の昼食メニューが「芝海老のカレーライス」。この頃、谷川八段がエビ・カニが大の苦手とは知られていなかった。関係者と一緒に昼食をとることにしていた谷川八段はピラフに注文を変更。

しかし、ピラフにもどっさりとエビが入っていたという。

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山本亨介さんの観戦記者としてのペンネームは天狗太郎。

月刊文藝春秋の将棋欄を長く担当していた。

また、1989年の宇野宗佑首相誕生の際には、彦根高等商業学校で同級生だったということで、テレビなどで山本亨介さんの名前も紹介されていたこともある。