近代将棋1989年10月号、谷川浩司名人(当時)の連載コラム「対局のはざまで」より。
「ちょっと、谷川先生に話があるんですけど」
NHKの対局を終えて、スタジオを出た瞬間に浦野六段に呼び止められた。
―この男、将棋で負かした上に何の話があると言うのだろう。
「谷川先生に謝らなければいけません」
―何か失礼なことでもあったかな。
「実は僕、今度結婚するんです」
―えーっ。
本当に驚いた。趣味といえば麻雀とジョークぐらい。女性に興味がないという素振りを見せていた浦野君が結婚するとは―。
あまりに驚いたので、おめでとうの言葉が出てこなかった。
それにしても、彼は7月1日、私の祝賀会の時に、「脇さんと西川さんは、谷川先生より先に結婚してけしからん」などと平気で話していた。
本当にとんでもない奴だ。
「谷川先生も知っている人なんですけどね」
ここまでくるともう、誰なのか推理する気力もなくなっていた。
2月に、京都の都ホテルで、南王将と棋王戦第1局を戦った時に、色々と御世話してくれた、西野麻七美さんという女性だとか。
実は私は、3年まえの棋王戦の時にもお会いしているわけで、あまり将棋に熱中しすぎるのも考えものだ。
浦野君にしても、あの時は麻雀をするために都ホテルへ足を運んだらしい。人生とは全く判らないものである。
それにしても、西川君の時は、二人でスナックへ飲みに行った時に、偶然遊びに来ていた女性だった。
脇君の時は、将棋連盟と関西棋院の棋士、私も含めて6名で食事に行ったのが二人のスタートだった。
浦野君の場合は、それほど直接的ではないにしても、二人の出会いの時に私が居た、というのはこれで三組目である。
これだけ周囲を幸福にしておけば、自分も幸福になれるとしたものであろう。(少々ヤケ気味になってきたか)
脇君と西川君は私より年上だが、浦野君は私より2歳下だけに、さすがに考えさせられるものがあった。
帰りのタクシーの中で考え事をしていたら、NHKの方からタクシーチケットをもらったのを、すっかり忘れてしまった。
お金を払って、タクシーを降りてから、やっと気が付いたがもう遅い。
神戸にもどってから、神吉さんに電話をした。彼は既に知っていて、今日、7月10日が麻七美さんの誕生日であることも教えてくれた。
ここまで聞かされては、私も納得せざるを得ない。
「今日は負けるようにできていた」
(中略)
この対局の数日後、大阪の連盟で浦野君にあった。誕生日の事を言ったら、
「誕生日祝いに勝ってね、と頼まれたのでそんな無茶な、と答えました」
としっかりのろけられた。
やっぱり浦野真彦はとんでもない奴だ。
でも、おめでとう!
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この頃、谷川浩司名人(当時)は27歳。
思いを寄せていた女性が他の人と結婚してしまうことを聞いた時ほどではないだろうが、それにやや近いようなショックの受け方が可笑しい。
神戸に帰って神吉宏充五段(当時)にさっそく電話をするところも、動揺の大きさを物語っている。
同年代の棋士に結婚で先を越されることが気になる、このへんも谷川流の勝負師魂の発露なのかもしれない。
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この翌年の、浦野真彦八段の奥様の誕生日にあった深夜の出来事。