藤井猛四段と三浦弘行四段

将棋世界1994年5月号、神谷広志六段(当時)の「今月の眼 関東」より。

 西村門下の新鋭、藤井、三浦両四段は奨励会の頃から目立った存在だった。

 二人とも三段リーグを二期でスンナリ通過するなど昇進の早いことでもそうなのだがそれより二人の持つ独特の雰囲気、芯が強いというかふてぶてしいというか、ともかくそういうムードを持ち、こいつらはいかにも強くなりそうだと周りの誰もが思っていた。

 顔自体はそれ程似ているとは思えないが奨励会幹事の相棒だった大野がいつまでたっても二人を間違えて呼び、その度に二人とも不満そうな顔をしたものだ。

 四段にデビューしてからも二人とも期待通りの活躍で、藤井は9勝1敗でC級2組からの昇級を果たしているし、三浦は先崎、真田らの若手と勝率一位を争っている。

 今月はこの二人の将棋を見ていただこう。

 図は94年2月22日の王座戦二次予選決勝、藤井四段-高橋九段戦。

 藤井の四間飛車に高橋の居飛穴と互いに得意の戦型から。

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図以下の指し手

▲4二角成△同金上▲4五銀△8四飛▲5四桂△3三金右▲6二桂成△8七飛成▲3四銀

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 ここまでは割と細かい動きで歩得を重ねてきた藤井だがハンマー猛(筆者より年上でボクシングに興味のある方ならピンとくるだろう)の異名通り決断すればズバリと行く。角を切った後▲4三銀ではなく▲4五銀と打つのが手厚い。

 そして銀取りに構わず▲3四銀と絶好調といえる攻めだ。

 ただししての高橋もさるもので図から△4六歩▲同飛△5四桂と反撃、以下猛烈に追い込んでヒヤリとさせたが藤井が何とかしのぎ切り本戦進出を決めた。

    

 図は3月10日真田四段-三浦四段の新人王戦。

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 やや変則的な手順で角交換となりここから△6四金▲7八金△5五金▲5九飛△5四金と進行。

 何でもないようだがこの△6四金~△5五金というのはなかなか凄い手である。

 というのも△5五金とした局面は後手の駒がバラバラ。

 特にこの場合先手は角を駒台にのせているのでいかにも手にされそう。普通の棋士なら浮かんでも一寸指せない手なのだが三浦は自分の読みに余程自身を持っているのだろう。真田も色々考えたろうが結局うまい手がなく、△5四金となっては歩の食い逃げに成功の形だ。

 それから十数手進んだのが下図。

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 三浦ハッキリ優勢の局面から、

△4五桂▲1五角△1四歩▲5一角成△2八飛成▲4九金△6四金

 最初この手順を見た時は棋譜の間違いかと思ってしまった。さして働いていない敵の角を桂を使ってまで成らせる。

 なんじゃこりゃというところだが続いて△2八飛成と金取りで成れるのが厳しく優位は少しも動いていない。△6四金以下は▲当然の▲5三飛成に△1九竜▲5八金△5五香と攻め、以下短手数で寄せ切っている。

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 二人を比べると振飛車党で研究家(四間飛車ならすでに第一人者という説あり)の藤井。何でも指し実戦派(家では詰将棋ばかり解いているとのウワサ)の三浦と分かれているが二人ともこれからドンドン活躍するのは間違いない。

 通のファンなら藤井、三浦の名を忘れないでいただきたい。

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神谷広志七段の予言が見事に当たっている。

藤井猛九段は1970年生まれで群馬県沼田市出身、三浦弘行八段は1974年生まれの群馬県群馬郡群馬町(現高崎市)出身。

群馬県出身で西村門下という共通点はあるものの、4歳も離れているので二人を間違えそうにないものだが奨励会幹事が間違えてしまう。

それほど二人に似たようなオーラがあったということなのだろう。

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私が大学時代に憧れていた女子大生も群馬県出身だった。

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ハンマー猛は、昭和40年代前半に活躍した元WBA・WBC世界スーパーライト級王者の藤猛選手のこと。

藤猛はハワイ生まれの日系3世で、「オカヤマのおバアちゃん、(僕が勝った瞬間を)見てる?」という台詞が当時の流行語になった。

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紹介されている藤井四段の棋譜。

まさしくハンパーパンチ、あるいは故・佐藤大五郎九段の薪割り流的な指し手だ。ガチガチの4枚穴熊があっという間に薄くなっている。

三浦四段の棋譜。

邪魔者(角)を無理やり高級レストランに招待して、邪魔者がいなくなったところで思う存分暴れまわるという指し回し。ユーモラスな手順だ。