羽生善治竜王(当時)がやりたがらなかったと伝えられるゲーム

近代将棋1990年9月号、炬口勝弘さんのフォトエッセイ「モノポリー」より。

 棋士はみな勝負事が好きだ。競輪・競馬・パチンコ・麻雀……何をやらせても素人離れしている。勝負強い。これは本業からして当然のこと。驚くには当たるまい。

 これまで、娯楽の王座は麻雀が占めてきた。対局の後、仲間と楽しむ室内ゲームといえば麻雀が主流だった。タイトル戦の打ち上げは、勝者も敗者も、夜更けまで、いや時には明け方までワイワイガヤガヤ。奇声を発したりして、心の高ぶりを鎮めたり、敗北の無念を晴らしたりしていたものだったが、最近はすっかり様子が変わった。麻雀が廃れ、モノポリーという西洋双六が流行している。

「どう、その土地売らない?」

「いくら出す?高いよ。それより鉄道、買わない?安くしとくよ」

「ヒャー、破産だ。金がない!」

 札束を握り締め、サイコロを振りながら、そんな会話が飛び交う。いかにも金余り、財テク時代にふさわしいゲームだ。

 去年の春先あたりから、東京の連盟内で流行り始めた。しかし、娯楽の王座を占めるまでになったのは、やはり昨秋の竜王戦からだった。

 トレンディな島竜王(当時)が広めた、と言ってもいいだろう。もともとキャリアが長く、全国大会にも出場したことがある島。島研時代から、将棋の対局が終われば、羽生、森内ら、メンバーの若手棋士とモノポリーに興じていたという。

 先の竜王戦では、終局後、数人の若手棋士が交じっているとはいえ、タイトルホルダーの島と、挑戦者の羽生が、和気アイアイ仲良よくボードを囲んで、ゲームに興じている光景を何度も見た。やはり最初はちょと奇妙に思えたが、二人にとっては島研からの続きで、ごく当たり前なのだった。ただ、最終局、12月17日の夜も、そうだったのには、やはり驚いた。タイトルを奪われながら、特別気落ちした風もなく、喜々としていた島の姿は今も忘れられない。フツーなら一刻も早くその場を去りたいところだから、大したものだと感心した。

 モノポリーの流行は、その後の名人戦でも続いた。さすがに40代の中原棋聖は加わらなかったが(一度だけ、第5局の伊香保温泉の時には、中原と、観戦ツアーできた米長が、それぞれ、弟子の小倉四段、先崎四段に後についてコーチしてもらいながら楽しんだ) 若き谷川は,やはり若き立会人や、衛星放送の解説の棋士らと楽しんでいた。最終局、山中湖で名人を奪われた夜も、夜が白む頃まで座を離れなかった。

「時代が変わったね」

 棋界の長老、正立会人、加藤治郎名誉九段の漏らした言葉が今も印象に残る。流行といっても、しかし10代20代若手棋士の間でのことである。30代の田中寅彦八段、40代の森雞二九段が好きなのはむしろ例外的といえよう。

 ゲームそのものは、昔はやった「バンカス」という銀行ゲームをより複雑にしたようなもの。2人でもできるが、4人から6人(正式には5人)が、それぞれ1500ドルずつ持ち、2つのサイコロを振っては、出た目に従って双六風にゲームが展開する。ただ双六のような盛り上がりはなく、土地の売買や、鉄道会社、水道電力会社の利権の売買など交渉ごとが続けられ、誰か一人が破産するとゲームが終わる。勝者は一人(正式大会ではポイント制で最下位まで順位をつける)。きわめて残酷なゲームである。

 土地を持ちホテルや会社を買い占めても、金がなければ破産してしまう。営々と築いた資産も、刻々と変わる状況の中で判断を誤れば、交渉で買い叩かれ、半値以下になったりする。要するにサイコロの目の偶然性もあるが、読む力、技術の巧拙の比重がずっと高い。交渉力の上手下手がモロに出る。しかし口先だけで勝てるほど単純でもない。そこが、きわめて棋士に向いた、棋士の好むところでもある。これまで抜群の交渉能力で、常にトップを走ってきた島前竜王も、最近はやや神通力が失せ、ぼやく。

「やりにくくなったよ」

 島前竜王は、棋風どおり攻めるタイプだが、羽生竜王は、それとは逆に待つタイプ。棋風性格がそのままなのが、王位挑戦の佐藤康光五段とゲーム大好きの森雞二九段。前者は手がたく、後者は切れるか切れないかのところでノッこむ。寅ちゃんも、かつて「大貧民」というトランプゲームをはやらせたゲーム好きだが、不動産売買のあるモノポリーは、とりわけ大得意。ちなみに、日本版のセットでは一番高い土地が銀座、一番安いのが八王子と北千住になっていて、羽生竜王は日本語版はやりたがらないとか。

 とにかく、将棋の対局とは違い、喜怒哀楽をモロに口に出せる。気分転換、リフレッシュにはもってこいのゲームであることは確かだ。

—–

この当時、羽生善治竜王(当時)は八王子の実家に住んでいたわけで、モノポリー日本版をやりたがらなかったという気持ちはとてもよくわかる。

—–

調べてみると、「元祖ご当地版モノポリー・ヤングモノポリー(MONOPOLY BLOG ―モノポリーブログ―)」に、この日本版モノポリーのことが書かれていた。

日本版は1988年にトミー(現タカラトミー)から発売されたもので、ゲーム内の地価によって22の地域が以下の8種のランクに分類されているという。

(地価の高い順に)

  1. 銀座、赤坂
  2. 青山、六本木、新宿
  3. 日本橋、丸の内、渋谷
  4. 池袋、虎ノ門、原宿
  5. 吉祥寺、神田、田園調布
  6. 上野、浅草、自由が丘
  7. 錦糸町、中野、高田馬場
  8. 北千住、八王子

昭和の頃の赤坂は良い意味で敷居の高い街だったよな、とか、自由が丘はもっと上のグループでも良いのではないか、など、いろいろと1988年頃を思い出しながら感慨に浸れるわけだが、たしかに八王子は突然ここに連れて来られたような感じがする選ばれ方だ。

逆に考えれば、とてもインパクトのある位置付けとも言える。

先崎学四段(当時)はその頃は中野に住んでいたので、羽生竜王が面子に入っている時は、日本版でやろうと何度も言っていたかもしれない。

—–

日本モノポリー協会という団体があって、会長は糸井重里さん。

ご当地版モノポリーを考えたり、モノポリー講習会を開催したりしている。

→ 天使と悪魔が徹夜する!「日本モノポリー協会」のページ

—–


Warning: Trying to access array offset on value of type null in /home/shogipenclub/shogipenclublog.com/public_html/blog/wp-content/plugins/amazonjs/amazonjs.php on line 637