夜の新宿 大人の人情

近代将棋1988年6月号、写真家の弦巻勝さんの将棋写真エッセイ「僕の将棋写真は数万枚」より。

 僕は将棋の写真を撮りつづけて13年程になります。初めは対局場に勝手に入って撮っていたわけで怒られて当たり前、注意されないのが不思議という立場でした。ただ僕自身は悪い事をしているという気持ちが全く無いわけで、むしろこんな素晴らしい将棋の世界を記録しておかないのは将棋連盟の怠慢、くらいに考えていました。現在は多くの将棋雑誌の編集者が自由に撮れるようになりましたが、たかだか10年前はそんなムードは全くありませんでした。で、当時の僕は何も解らず全然気にしないで撮るわけです。今思えば無神経というか馬鹿というのか、とんでもないカメラマンなわけです。

 プロの対局は一流旅館の部屋で厳粛なムードで行われているものばかりではなく、大広間で7、8面盤が並べられ、同時に始められることのほうが多いわけです。とりわけ火曜、金曜が多く、この日は何があっても将棋会館に駈けつけました。将棋雑誌を買ってきてスミからスミまで読み、将棋界の勉強は当時からしていましたが、顔写真の良く出る棋士は解りますが、そうでない棋士は名前と顔が一致しませんでした。

 撮影は昼食休憩の終わるころ、対局場でカメラを構えて始めました。この時間が一番かしこまって対局室に”入ります”という感じが無いのです。プロの将棋は午後4時すぎが顔を突き合わせる第1期ヤマ場というか絵になるわけです。それまでの時間は”棋士の素顔”なんて勝手に考え、談話している棋士を撮りました。雑誌に載せるなどと仕事として撮るわけではなく、単に将棋ファンの写真好きが対局場にまぎれ込んで撮っているわけで、多くの棋士の先生方は僕の事を何者か解らず、対局室に入って来たことを注意するのは専ら理事の先生あたりでした。それにのべつ注意をしていたら自分の将棋に集中出来ないわけですから、そんな時は二言三言しか言いません。ですからその間ちょっと我慢して聞き、また撮るわけです。それに僕は正義の味方の気持ちですから、何を言われても全く気にならないのです。僕を見ると怒る先生は望遠レンズで緊迫した局面まで待って撮りましたから却って良い写真になりました。

 将棋の世界にのめり込んだのは指すのも大好きで、棋士が研究している「と金の間」は何とも寺小屋の玄関番のような気持ちで眺めていました。プロ棋士の将棋の強さもまるで解らず2、3年もすればプロ棋士に……くらいの気持ちで当時はいたように思います。

 そのうちに棋士の先生方で麻雀のメンバーが不足した時などは声をかけられたり、酒にも誘われるようになり、まあ格別キケンな男でもなさそうだと時間とともにその辺だけは認められたようです。

 僕も生活があるので一般誌の仕事で政治家・財界人・芸能人を撮って収入を得なければならず、結構忙しくかけずり廻っていました。ただ、収入にむすびつかない棋士の写真を撮る方が数倍も喜びを感じました。それに本誌の口絵がカラーになった時からもずぅーと一月の休みもなく現在まで撮らせてもらっています。それらが積み重なって多くの棋士の先生方と友人になれました。

 こんな事もありました。帰宅し、食事をすませ、湯に入り、パジャマなどを着てビールでも飲んでテレビでも見ようかという時、勝浦修九段からTEL。”何していますか”新宿で飲んでいるんだけど、来ませんか……」

 外は雨、普通の友人ならちょっと考えちゃう場面です。身じたくをしてカメラをもって出かけました。僕はほとんど車で行動しているので40分で新宿に着きました。解りづらい店でした。雨の中目標の場所に勝浦九段は待っていてくれたんです。僕は感激しました。その時飲んでいたメンバーは森雞二九段、森安九段、それに佐藤大五郎八段、大物棋士ばかりです。何で呼ばれたのか解りませんでしたから、酒を飲みながら聞いてみました。賭けをしていたのです。みんなで、僕が来るか来ないか、そして来るならばカメラを持って来るだろうか、手ブラで来るか。そんな内容でした。ただこわいのはカメラを持ってこないようなカメラマンなら今後、俺たちは撮らせないという話がついていたそうです。写真を撮るのはサイコロをころがすような綱わたりに見えますが棋士の先生方は一点きちんと通していればすべて解って協力してくれるものとこの時ハッキリ解りました。プロはプロを認めてくれるということです。

 そんな意味でも棋士は大人のやさしさをチョッピリ覗かせる人達の集まりなんです。中途半端な気持ちで突っ込んで行くのは観戦記者であれ、カメラマンであれ、僕はやめた方がいいと考えています。どの世界でもそうでしょうが本気で向かって行かなければ解ってもらえないと思います。将棋の写真で棋士の先生方に大変な教えを受けたと思います。これからも常に一台はカメラをぶら下げて将棋会館をウロウロしていくと思います。うわついた僕にはカメラの重さが丁度バランスよくしてくれるような気がします。家にある数万枚かの写真ファイルを見て心新たにしました。

 今後も良い将棋写真を1枚でも撮るよう頑張りたいと思います。

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昨日に続いて、夜の新宿への遅い時間からの誘い。

新宿は奥が深い。

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弦巻勝さんは週刊ポストのカメラマンを経てフリーに。

将棋会館に出入りするようになったのはフリーになった頃からと思われる。

理事に注意をされても受け流し、構わずに写真を撮り続けていたところが弦巻さんならではの気概と根性。

勝浦修九段、森雞二九段、森安秀光九段、佐藤大五郎八段という組み合わせも絶妙だ。

夜の新宿の人情噺。

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