升田幸三実力制第四代名人「君は大山の手の者か」

将棋世界2004年4月号、写真家の弦巻勝さんの「あの日、あの時、あの棋士と」より。

 昭和50年代東京駅の丸の内側から八重洲側に抜ける通路はトンネルみたいになっていました。

 そこを升田先生が着物を着て扇子をぱちぱち鳴らしながら歩くと、モーゼの映画みたいに人込みが割れて、不思議なもんだな~あ、と思いながら先生の後を付いて行きました。

 先生が乗る新幹線の時間まで2時間ほどあります。先生、酒を呑もうと言う。寿司屋に入りました。

 僕は、カウンターに座ってくれると良いな~あの気分でした。先生テーブル席に座る。

 1対1の差し向かい、しかも2時間…ビールとつまみだったように思う。最初は先生職務質問みたいな事で、「君は大山の手の者か…」「僕は単なるカメラマンです」みたいな事で話は済んでいました。

 そのうち連盟の大物は誰か、このテーマがきつくて僕も、どう答えたものか…まだ若かったし生意気だから大物はいないと答えたように思います。

 するといきなり怒り出して先生の口からご飯粒が沢山飛び出して、「それは君、此の俺を入れての事か…」言葉の数だけご飯粒が僕にかかった。で、先生、話す事忘れたのか、僕の服にかかったご飯粒を手で払ってくれた。

 そこからは実に平和な時間で、自由に写真撮りなさい。何かあったら言いなさい。さかんに今まで出ていたほおずき頭とかいう言葉は出なくなっていました。けっこうフラフラの先生を僕はホームまでお見送りしました。奥様もそのころにはホームでお会いできて、ご夫婦での旅だと初めて知りました。

 僕は電車が走り去るまで大物から目を離しませんでした。その後何度となく升田先生を撮影させていただきました。

 今回の写真はご自宅での撮影。ご家族での記念写真なども撮影してお送りしたせいなどもあるのでしょうが、いつでも、とても協力的な先生でした。先生のイメージははじめおっかない感じでしたが、今現在僕の升田先生観は少し違います。今僕は升田先生の笑顔の写真の方が好きになっています。

同じページに掲載されている弦巻さん撮影の写真のうちの一枚の一部。

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升田幸三実力制第四代名人、どう見ても只者には見えないわけで、モーセが歩き海が割れるがごとく、人込みが割れるのは当然といえば当然だろう。

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「ほおずき頭」とは、大山康晴十五世名人の頭のこと。

うまいことを言うものだ。

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「君は大山の手の者か」は引退後の升田実力制第四代名人が好んで使った言葉のようで、元・近代将棋編集長の中野隆義さんからも次のような体験談をこのブログのコメント欄に寄せられている。

ほんとうに升田流のお言葉は、どきっとさせられるものばかりでありまして、私めが将棋連盟に勤めているときに棋譜解説を受けに参りましたときには、「初めまして。日本将棋連盟から参りました出版部の○○です」と挨拶しましたら「ほう。将棋連盟から来たいうことは、大山の手の者だな」とやられまして思わずひえーっと縮み上がったものでした。当時は大山十五世名人が将棋連盟の会長で、その大山流と升田流とは犬猿の仲とされていましたから。それでなくとも升田流はおっかない先生というイメージがあったもので、その先生からお前は敵将の手の者だなと言われてはほとんど気絶に近い状態になるのも仕方ないところでありました。 フリーズしている私めに、こりゃ薬が効きすぎたと思われたのか、升田流は飼っている犬が私めに近寄ってクンクンやっているのを見て、「動物は相手が敵か味方か分かるものだ。どうやら君は敵ではなさそうだな」と助け舟を出してくれるのでした。 そのとき、あれっ、ほんとは優しい人なんだ。と思ったのです。

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今年の5月に亡くなられた中野隆義さん。

中野さんからはこのブログに数々の有り難いコメントをいただいている。

そして、その中には棋士の様々な貴重なエピソードも含まれている。

独立した記事としたものもあるが、12月になったら、中野さんが書かれた棋士のエピソードを全て抽出して、まとめてみたいと思っている。

 

 

「升田幸三実力制第四代名人「君は大山の手の者か」」への1件のフィードバック

  1. 大崎氏のエッセイにも同じ様な下りがありましたね。
    「おまえは大山の手の者か?」
    に対して、
    「いえ、入社したばかりで、会ったことも話したこともありません」
    という様な意味のことを答えたら
    「それはよろしい」
    と喜ばれたというのを読んでおかしくなりました。

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