三浦弘行四段(当時)「野武士」と呼ばれて

将棋世界1995年4月号、泉正樹六段(当時)の「公式棋戦の動き」より。

棋聖戦

 出来上がったリーグはどの組も面白そうな対戦ばかり。開幕を飾るのは米長-三浦戦。

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 図は▲9三歩に対して堂々△同玉と応じたが、この度胸の良さが”野武士三浦”の真骨頂。米長大先生何するものぞの息吹きさえ感じられる。49分の長考▲6四銀にも、のうのうと我が道を行く△2四飛だから米長の怒髪天を衝いたことだろう。以下▲5三桂△7一金▲4四角△同銀▲3二飛成と進んだが、△5三銀(2図)と桂を払われ形勢を損ねた。

2

▲5三桂では▲3五飛△同金▲6三銀打の俗攻めの方が勝っていたようだが、ここでは三浦の戦いぶりをほめるべきかもしれない。

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「▲9三歩に対して堂々△同玉と応じたが、この度胸の良さが”野武士三浦”の真骨頂」と泉正樹六段(当時)が書いているように、米長邦雄九段を相手に▲9三歩を△同玉とはなかなか取りづらいと思う。

▲6四銀に△6三歩と打ったりすると、▲5三桂△7一金▲4四角で後手が困ってしまうので、手堅くいくなら△3六歩なのだろうが、「のうのうと我が道を行く△2四飛」。

この△2四飛も、来るなら来てみろという大胆なオーラが漂っている。

2図以下、▲6三金△同銀▲同銀成△2九飛成▲3九歩△3一歩▲6二成銀△同銀▲同竜△同金▲7一角と、ハラハラするような手に汗握る展開となるのだが、三浦四段が米長九段の猛攻をしのぎ、見事に寄せ切っている。

たしかに、大胆不敵な野武士を思わせるような力強い将棋だ。

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河口俊彦六段(当時)は将棋世界1995年1月号の「新・対局日誌」で三浦弘行四段(当時)を”凄みのある素浪人”のようなと形容しているが、4月号で野獣猛進流の泉正樹六段は”野武士三浦”。

その後、三浦弘行四段は棋聖戦で挑戦者になって、いつの頃からか”武蔵(たけぞう)”と呼ばれるようになる。

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「光速の寄せ」、「自然流」、「終盤の魔術師」、「自在流」などは、本人に受け入れられやすいキャッチフレーズだが、「鉄板流」、「不思議流」、「お化け屋敷」、「忍者流」、「素浪人」、「野武士」などは、名付けられた側から見るとやや微妙かもしれない。

しかし、泉正樹六段は、三浦弘行四段が研修会にいた頃の研修会幹事。

現在の三浦弘行九段に野武士というイメージはないが、超わんぱくだった少年時代から三浦弘行少年を見てきた泉六段からすると、この頃は、棋風、雰囲気ともに野武士という印象だったのだろう。

四段時代からキャッチフレーズが付くのも、一つの勲章と言える。

 

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