将棋世界1989年2月号、駒野茂さんの「関東奨励会レポート」より。
1988年の奨励会旅行(11月12、13、14日の2泊3日・天童)へは、都合が悪く行くことが出来なかった。
残念だった。
こう思った時、フト昔の旅行・ハイキングでのシーンが、頭に浮かんできた。
それはもう凄いものだった。
酒、バクチは当然のことだとしても他の行動も含め、今とは内容が違うのだ。酒は飲む、というよりも、浴びると言った方が正解か。中には意識がなくなり、暴れ回る人も何人かいた程だ。
バクチにしても気合いが入っていて、徹夜で打ち続けたはいいが、日の出とともに倒れて、救急車で運ばれるという強者もいたのだから。
春頃にやるハイキングでも、個性溢れる行動が見られた。
東京・奥多摩での縦走。5時間程かかるキツイ行程の最中、尻のポケットからウイスキーの小びんを取り出して、グイと飲む人がいた。途中ノドが渇くと思って、あらかじめ水割りを作っておいたというのだから、恐れ入る。
この縦走の前、幹事から、
「行程がキツイから、運動靴でくるように」と言われたのにもかかわらず、皮靴で来て、終点近くまで来たところで足が痛くなり、残りをハダシで歩ったという間の抜けた人もいた。
とにかく、続々と飛び出る出来事が、面白かった。
「旅行、どうだった?」
こう何人かに聞いたところ、面白かった、とは答えるが、内容を聞くと今一といった感じである。
今回の旅行では、個々に一つずつ部屋(1日目)が与えられたせいもあるのだろうが、割合早く部屋に戻る者が多かったらしい。そして―、「こういうものは、一人で見るもんですよ」といった会話もちらほらあったという。
300円を入れて見る、例のやつだ。
遊び方が小さいと思う。
年に一度の旅行なのだから、少々ハメをはずしてさわぐのもいいはずだが、年齢的なことを考えれば、そう願うのは無理なことか。
それにしても皆んなでワイワイとか、突拍子もない行動にでる者とか、こうした光景を年々見られなくなってきた。
優等生的なのが増えたのは良い傾向だが、反面、さみしさも増したことも確かだ。
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1988年の奨励会旅行とは、昨日の記事の旅行。
昭和の頃は、たしかにこのような気運・気概に満ち溢れていたと思う。
遊ぶ時は遊ぶことに徹して、その遊びも全く生産的ではない遊びばかり。
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とはいえ、中学生の奨励会員も旅行に来ているだろうし、高校生の年齢の奨励会員の割合も多く、昔ながらの宴会の姿にすることはなかなか難しい。
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…とはいえ、よくよく考えてみると、昭和の時代でも駒野茂さんが味わったような宴会は一般的ではなかったし、それだけ当時の奨励会員が個性派の集まりだったということができると思う。
駒野茂さんは1975年から1983年まで奨励会に在籍していた。
この頃が、酒やバクチ面での強者、猛者、豪の者がいた最後の時代ということなのだろう。